シルクの里でやまなしの可能性を感じよう!
ここのところお店のレジなどで「マチコレ見てますよ!」とか、「ウォーキングのコーナー楽しみにしています」と言われることがとても増えました。(^o^)
大変ありがたいですし、ちょっと照れますがとても嬉しいです。この場を借りて感謝申し上げます!!
さてさて、今回はシルクの里「豊富」でメタボウォーキングです!\(^O^)/
出発はバス停「豊富庁舎入口」です。
バス停の前には旧郷土資料館があります。
こちらは昭和12~53年まで旧豊富村役場として使用されていた建物とのこと。
よく見ると瓦に
「役場」と入っています。
これは豊富オリジナルなのでしょうか?それにしても昔の建物は味があってイイですね~。(^_^)
さて、浅利川沿いに進み更正橋を渡り、川東の集落を進んでいきます。
仲川沿いを上って、上手橋を渡り、T字路を左折。緩やかな上り坂を進んでいくと、豊富シルクの里公園に到着です。
こちらの公園は平成8年に開園し、総面積が約2.6haで、宿泊型工芸館「シルクふれんどりぃ」や豊富郷土資料館、大型遊具などがあるとのこと。
郷土資料館には、この地域が養蚕業によって潤った時代の資料がたくさん残されており、当時の生活文化や風俗がよ~く分かります。(^o^)
シルク(絹)は
外貨を獲得するうえで大変貴重だったということですが、海外へ初めて日本製のシルクを売った商人は山梨県民だったということですよ。
凄いぞ山梨県民!!
(・0・)
今では養蚕業に関わる人達はごく少数になってしまったようですが、当時は日本を代表する養蚕王国で、技術力も大変高かったようです。
さて、遊具がある広場に行きましょう。
おお~!子供たちがいっぱい遊んでますね~。シルクの里に相応しく、繭をモチーフにした大型遊具がありますよ。
整備された小川では水遊びをしています。良い公園ですね~。(^_^)b
公園の南側には大福寺があります。
こちらのお寺は・・・今から1250年ほど前に奈良時代の僧、行基が天平11年(739)にこの地で観音像を彫り寺を開いたのが始まりとされ、
その後、荒
廃していたところを飯室禅師光厳(いいむろぜんじこうげん)が再興しました。
飯室禅師は武田家の祖、武田信義の孫にあたるとのこと。
大福寺を出て、与一弓道場を回り、浅利与一の墓と呼ばれている層塔に到着です。
浅利与一義成公は甲斐源氏の一員であり、甲斐武田氏の初代当主である武田信義の弟で弓の名手とのこと。
平家を滅亡させた壇ノ浦の戦いでは、400m以上離れた敵を射通したというから驚きです。(○_○)
なるほど!それで与一弓道場という訳ですね。
もうひとつ驚いたのが、与一は53歳の時に坂額御前(はんがくごぜん)という妻を娶っているのですが、
この女性が鎌倉期に「一に板額、二に巴、三に更科」
とうたわれた「日本三勇婦」の一人で、弓の名手だったということ。
しかも平家方の豪族で、源氏に対して反乱を起こしたところを捕らえられたにも関わらず、
全く臆さないその態度に深く感銘をして将軍に「嫁に欲しい」と申し入れをしたのだそうです。
う~ん・・・男として器がでかいなぁー。カッコイイ!!(^_^)b
何だか浅利与一に大変興味が出てきました。山梨と言えば武田信玄が定番ですが、それよりも前の時代にこんな凄い武将がいたのですね~。
さて、シルクラインを下ります。
さすがゴールドラッシュが有名な豊富ですね。
とうもろこし畑が沢山あります。
おや?ブタがいっぱいいるぅ~~~!!
気持ち良さそうに寝てますね。カワイイなぁ。(^_^)
県道にぶつかったら左折をし、豊富農村広場を左折するとゴールの中央市豊富庁舎に到着です~!!\(^O^)/
今回は鎌倉~平安と明治~昭和という異なった時代を一度に味わえる、とても奥が深いコースだったと思います。
そして、浅利与一と坂額御前、シルクというコンテンツは、町おこしに使える可能性を感じました。
特に坂額御前は、巴御前のように若者へ浸透すれば、かなりの観光客を呼べるのではないでしょうか?
新潟県と手を組んで売り出せばいいのにな~・・と勝手なことを思ってしまいました。(^_^;)
所要時間:2時間半
消費cal:273.0Kcal
参考書籍:甲斐路ウォーキング
Wikipedia