武田氏のルーツを探ろう!

先日、街中を歩いていると「あれ?メタボのカワカミさんですよね?」と声を掛けられました。
どうやらこのコーナーを欠かさず読んで頂いているようで、大変ありがたかったのですが「メタボのカワカミさん」と呼び止めるのはご遠慮下さい。正確には「脱!メタボウォーキングをマチコレで連載しているカワカミさん」です。でも、実際にメタボですから仕方がないか・・・。
今回はそんな話とは全く関係無く「武田氏発祥の地」を歩きます!!\(^O^)/


出発はバス停「御堂住宅」です。

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右手の旧道を進むと左手には林、右手には集落が続きます。
おや?綺麗な水が流れています。水神と書いてある石碑もありますよ。飲めるのでしょうか?

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白沢川を渡り、左折すると願成寺に到着です。
この寺は武田氏の始祖、武田信義が平安末期に中興したとの事。本堂の左奥には信義の墓碑とされる五輪塔があり、木造阿弥陀三尊は重要文化財に指定されています。

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境内に武田氏の系図がありますね。う~ん・・・何と由緒正しい家系でしょうか。(・0・)

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元来た道を戻り、北西に進みます。安曇野食品工房の三差路を右手に上ると武田信義館跡なのですが・・途中で不思議な看板を発見。

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なになに・・「此の水を飲むと寿命は今日迄、しかし慣れてしまえば蚊にくわれるより平気」。えー・・・じゃあ飲まない方がいいじゃ~ん・・(-_-;)おや?こ・・これは!!サワガニを発見です!!

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私を敵だと思って威嚇していますね~。カワイイ~。(^_^)
さあ、韮崎市指定史跡の武田信義館跡に到着です。

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周辺に「お屋敷」「お旗部屋」「神酒部屋」「お庭」「的場」「お堀」「金精水」「具足沢」などの地名が伝えられている事から、実際の館は相当な大きさだった事がうかがえます。(・O・;
泉勝院を過ぎ、県道を横断すると諏訪神社に出ます。そして鳥居を横目に農道を進んでいくと「わに塚の桜」に到着です。

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立派な桜はエドヒガンザクラで、樹齢は約300年、高さは17m程もあり、満開の季節にはライトアップをされるとの事。
それにしても「わに塚」って、甲州弁の「ワニワニしちょ!」(Wikiぺずら参照)と関係があるのでしょうか?おや?看板がありますねぇ・・・ふむふむ。どうやら「わに塚」は「王仁塚」、もしくは「鰐塚」と書くようで、その名の通り古墳という事です。日本武尊の王子武田王が葬られている事から「王仁塚」と呼ばれており、これから向かう武田八幡神社に武田武大神として合祀されているようですね。武田氏の祖、源義信は、そこから性を武田に改めたという事ですから、この王子が川上王だったら川上信玄になっていたという訳ですねぇ!!\(^O^)/

さて、農道を進み、市道を横断。T字路を左折すると武田八幡神社の二の鳥居があり、こちらは山梨県の指定有形文化財となっています。

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鳥居からは一本道が延びており、遠くに武田八幡神社が見えます。う~ん、建造された当時の風景が思い浮かびそうな坂道ですね。(^_^)
さあ、坂道を上り、武田八幡神社へと到着です。

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武田八幡神社は弘仁13(822)年に勅命によって創建されたとの事。武田氏の氏神として篤く尊敬されてきたようです。
それにしてもこの神社、私のような者にでもそれが分かるぐらい、まとっている雰囲気が他とは違います。この場所にある殆どのモノが数百年以上前からそこにある事で、この雰囲気を醸し出しているのでしょうか?月並みな表現ですが、ここに居るだけで心が洗われるような気持ちになります。

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総門を潜り、舞殿、拝殿を過ぎ、本殿へと上ります。現在の本殿は天文10(1541)年に武田信玄公が造営したとの事。

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おお!!本殿を囲む塀に蝉の抜け殻が!記念にパチリ。

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おや?本殿より上にはフェンスが有り、これ以上は山を登れないようですね。しかも電流まで流れている物々しさ・・・いったい何の為なのでしょう??

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も・・もしや・・・武田氏の埋蔵金が見つかり、発掘中という事で立入禁止になっているのでは!!(○_○)などと思いながらフェンス沿いに歩いていくと「熊に注意」の看板を発見~。

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しかも、鍵はかかっておらず、自由に出入りが出来ます。どうやら動物対策だったようですね。(^_^;)
そんな事をしているうちに、為朝神社へ到着です。こちらは鎮西八郎為朝が祀られているとの事。

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本宮の中を覗くと・・うわ!何かでっかいものがいる!!どうやら鎮西八郎為朝の彫刻のようですね。びっくりした~。(-。-;)

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八幡沢川沿いに下り市道へ出ると、左手に徳島堰が流れています。徳島堰は寛文11(1671)年に完成した農業用水路で、16.6kmにも及ぶとの事。
市道から再び農道へと入り、ゆるやかな坂を下ります。願成寺を過ぎ、ゴールのバス停「御堂住宅」へ到着~!\(^O^)/

今回のコースは武田氏のルーツを知る事と同時に、歴史を後世に語り継ぐ大切さを感じるものでもありました。しかも、単純に資料や言葉で伝えるのではなく、良いものを残していき、観て、触れて、感じて貰うべきです。それが、その地に根付く我々の大きな財産となり、この地で生まれ育ったという自信へと繋がっていくのだと思います。そして、その思いがふるさとを大切に思い、より良くしていこうという気持ちへと繋がっていけば、人口減や環境問題、地方経済の疲弊も少しは防げる気がします。
やはり何事も本質を知る事が重要なのですね!!

帰ってきた時点で次のバスが約2時間後だと知った私は、取材の本質を全く理解していないのでしょうねぇ~・・・・どうしよう。(-。-;)

所要時間:2時間
消費カロリー:409kcal
参考書籍:山日カラーブックス「甲斐路ウォーキング」より