南アルプス市で治水の歴史に触れよう!
川上「はっはっはー!!永井くん!私が留守の間は大変苦労をかけたねー!」
永井「せ、先輩!!帰ってきたのですねーーー!!!・・・・・・・・・・チッ」(メ-_-)
川上「えええええ~~~~~!!!今舌打ちしなかった?」(゜◇゜)ガーン
永井「えっ・・し、してないですよぉ~・・ただ、ちょっと歩き足りないかなぁ~と思っただけですよ」
川上「駄目!駄目!もう永井学の出番は終了!!お疲れさま!!」
ふ~、危ない危ない・・・「永井学の方が面白いから続けさせろ」という読者様からの投稿があったら先輩の威厳が保てないからな。
えーと、皆様!そういう投書は受け付けておりませんので、ご遠慮願います。(^_^;)
そんな訳で!復帰第一弾は治水の歴史が残る旧八田村、旧白根町をメタボウォーキングです!\(^O^)/
出発はバス停「宮入製作所」です。
御勅使南公園に向かって北へと進み、途中の農道を左折します。
ここら辺はサクランボやキウイフルーツの産地という事ですが、さすがにこの時期は何もありませんね・・
って、おや?これは何でしょう?レタス?寒さ対策で新聞を被らせているのでしょうか??
テルテル坊主がいっぱいあるみたいで可愛いですね。(^-^)
こちらには農業用水を調整する機械があります。
う~ん、こういうやつを子供の頃に回して怒られたなぁ。(^_^;)
私は甲府生まれの甲府育ちですが、子供の頃は母方の実家がある白州へよく遊びにいきました。
田んぼのあぜ道を走り回ったり、川で泳いだり、ヘビを捕まえたりと、とにかく楽しかったのを覚えています。
最近の子供達はそのような遊びが出来ているのでしょうか?
そんな事を考えながら農道を進み、ふと振り返ると・・・
おお~!富士山が美しい~!(^○^)
あれ?甲府の方面にモヤがかかっていますね。何だか幻想的です。
あっちは八ヶ岳ですね。1、2、3、4、5、6、7、8、9・・・ってあれ?9つあるぞ???
どこかを余計に数えたようですね・・・。(◎-◎;)
おお~っと!こちらには畑にロッカーが!毎回ここで着替えているのでしょうか?
スーツで出勤していたら面白いですね。
そうこうしていると第一の目的地「将棋頭」に到着です。
将棋頭は、御勅使川や釜無川の度重なる洪水に困窮していた領民の為に武田信玄が行った一大治水事業のひとつで、
御勅使川を2分化する為の分流堤なのだそうです。
その形状が将棋の駒の頭に似ている事から将棋頭(しょうぎがしら)と呼ばれているとの事。
設置されている看板に当時の治水事業想定図がありましたが、当時の御勅使川と釜無川の流れと私が認識している両川の流れは全く違っていて驚きました。
どうやら現在の信玄橋付近が二つの川の合流地点だったようですね。(・0・)
さて、道なりに進んで行きましょう。
お!わんちゃんを発見!う~ん・・・完全に警戒されてますね・・・吠えないで~。(T_T)
わんちゃんから逃げるように進んで行くと、わかば支援学校の入口に到着。
こちらには小将棋頭と呼ばれている桝形堤防があります。
形は先ほどの将棋頭の小規模版ですが、治水の目的以外に地下を通っている徳島堰(とくしませぎ)から取水する為の水門を守る役割も担っていたようです。
ん?徳島堰??どこかで聞いたような・・・
あ!「武田氏のルーツを探ろう!」で武田八幡神社からの帰りに見かけた水路だ!\(◎o◎)/!(読んで無い方は読んでみてね!)
参考資料を見ると・・・徳島堰は韮崎市円野町の釜無川から取水し、旧白根町曲輪田新田まで16.6kmの水路で、寛文11(1671)年に完成したとの事。
16.6kmかぁ~。そんなに長い距離の水路がその当時の技術で造れたのですね!
ちなみに造ったのはやはり徳島兵左衛門俊正という方のようですが、何だか複雑な歴史がありそうですよ。
帰ってから調べてみましょう!(^_^)
さて、畑地かんがい調整池を通り過ぎ、徳島堰沿いに進んでいきます。桜並木になっているので春は華やかでしょうね~。
途中を右折して住宅地を抜けていくと第二の目的地「矢崎家住宅」に到着。
こちらの住宅は建築から200年以上が経過しており、市の文化財に指定されているとの事です。
写真は正面の門という事になるのでしょうが、立派な門に負けずに敷地もかなり大きいです。
大地主さんだったのでしょうね!(・o・)
行善寺を通り過ぎ、水宮神社へと到着。
この神社は天長11(834)年に御勅使川の大洪水があった際に、時の淳和天皇が勅使を派遣して水神を祀り、以後は流域各村の鎮守としたとの事で、
社叢は市の天然記念物に指定されています。
水田や果樹園の中を進み右折・・・しようと思ったら、前方に公園施設らしきものが見えますね。行ってみましょう。
こちらはどうやら御勅使川福祉公園という施設のようです。
公園の全容が描かれている看板に近づくと看板がしゃべりだしました。設備などの説明をしてくれています。
ん?あちらに何かありますが・・・おお!どうやら馬に乗る事ができるようですね!
公園内を馬に乗ってえっちらおっちら歩けるようです。楽しそう?!(*^_^*)
この公園は御勅使川沿いにあるので、これから行く予定の御勅使南公園と繋がっているのだと思います。
公園の中を歩いて行きましょう?。\(^O^)/
おお!!河原も整備されていてとても奇麗です。
ウオーキングをしている方もチラホラ見られますね。こりゃいい公園だ!
川沿いに歩きながら何気無しに振り返ってみると・・・あれ?山のてっぺんがハゲているぞ??あそこはなんだろう??
あ!近くを何かが飛んでる!あれはパラグライダーだ!
写真では小さくて見えないと思いますが、ユラユラとパラグライダーが飛んでいるのが見えます。
どうやらあちらはパラグライダースクールのようですね。面白そう?!!(^_^)
さて、更に公園を気分良く進んでいきます。
あれ?遊具らしきものが点在していますが・・・どうやら大人が体力測定をする為のもののようですね。
試しにやってみましょう!
うう・・・う・・これ以上は無理です・・・どうやら私の体の固さは70歳レベルのようですね。(T_T)
お!こちらはボルダリングですね。ぐ・・・ぐぐ・・は、早く写真を撮って下さい・・。
体力測定で凹みつつも、更に公園を進んで行くと・・ラグビー場に到着!やはり御勅使南公園と繋がっていたのですね。
御勅使南公園のラグビー場は、毎日新聞社主催の「全国高等学校ラグビーフットボール大会」の県大会決勝戦を何度か見にきた事がある場所です。
今日も試合が行われているようですが、新人戦の県予選のようですね。
御勅使南公園を抜けて、ゴールの宮入製作所バス停に到着です?!\(^O^)/
今回は治水事業の素晴らしさと同時に、山梨県は水が豊富な県なのだと改めて実感させられたコースでした。
今は蛇口をひねれば当たり前のように水が出てきますが、化石燃料と同じく限られた資源です。
動物や山、森を大切に思うと同じく、自然の恩恵である水に対しても感謝の気持ちを忘れずに使わないといけませんね。
ちなみにニュースコムでは血糖値を下げると言われているバナジウム水を販売しております。
バナジウム含有量が他社のものに比べて高いうえに、ゲルマニウムも含んでいるという他には無いものとなっています!
もちろん全く手を加えていない、本当の天然水です。富士山の玄武岩が数百年かけて育み、富士箱根伊豆国立公園に湧き出た伏流水を
そのままペットボトルに注ぎ込んだ「バナジウムたっぷりのおいしい水」をお試し頂ければ幸いです。
って、突然宣伝になりましたね・・・失礼しました。
所用時間:3時間 消費カロリー:350kcal
【徳島堰について調べてみました】
徳島堰は江戸深川の商人である徳島兵左衛門俊正によって、寛文4(1664)年に甲府藩主の許可を得て、翌年から着工されました。
この際に徳島俊正は1年目は水代を徴収するが、2年目以降は年貢の1割を下付するよう藩と約束を交わしたとの事です。
どうやら徳島堰は農地開拓の為に行政が行った訳ではなく、もともとは営利目的だったみたいですね。
しかし寛文7(1667)年に約17kmの通水に成功したものの、同年の夏と秋に台風の被害を受け、堰は2回にわたって大破したようです。
徳島俊正はこのタイミングで今までの工事費4,165両を補償する条件で堰を甲府藩へと譲渡しました。甲府藩も年貢1割を与える事を嫌っていたようです。
この後、同年に甲府城代の戸田周防守が有野村(現南アルプス市)の里長であった矢崎又右衛門秀長に復旧を命じ、
矢崎秀長は私財を投じてほぼ戦前の姿にまで仕上げたとの事です。
ん?矢崎??どうやらこの矢崎又右衛門秀長さんがウォーキングコースにもあった矢崎家住宅の家主さんのようですね!
しかし、矢崎さんは私財を投じて堰を完成させたというのに、なぜ徳島堰という名前が付いているのでしょう?
矢崎堰じゃダメなのでしょうか?(蓮舫議員風・・あ、これは前回に永井学が使ったネタでしたね)
その理由はまたの機会にでも調べてみたいと思います。
■参考資料:甲斐路ウォーキング ■ウィキペディア