団十郎発祥の地を歩こう!!
皆さんは歌舞伎役者の中で最初に思い浮かべるのは誰でしょうか?
私は市川海老蔵です。と言っても単純にそれぐらいしか知らないのが理由です。(^_^;)
さて、その歌舞伎の名門「市川団十郎家」発祥の地が、山梨の旧三珠町だという事はご存じだったでしょうか?
今回はその旧三珠町を歩きます!!\(^O^)/
出発はJR甲斐上野駅です。
無人駅を降り立ち、東側(右側)へと進みます。
ん?何だか匂いますね・・・肥料でしょうか?周囲に畑は無さそうなのですが・・・とキョロキョロしていたらタイムリーな看板を発見。
思わず吹き出してしまいました(笑)。(^。^)
押出川を渡って身延線の踏切を横断し、すぐ右折をして坂を登っていきます。
お!ウシさんです!!カワイイ~・・あ。さっきの匂いはこいつらが原因か!
暫く坂を上っていくと、道ばたに野生?のプチトマトを発見!!不思議な光景ですねぇ・・旧三珠町恐るべし!(・0・)
さて、そうこうしているうちに歌舞伎文化公園の建物が見えてきました・・・が、その手前に蹴裂神社があります。
この神社は武田信玄の異母弟である「一条信龍」の館跡との事。信玄公は、源頼朝に謀殺されたとされる一条忠頼にはじまる一条家の名跡が絶えているのを惜し
み、異母弟である右衛門太夫信龍に家跡を継がせたようです。天正10年(1582)武田家滅亡の折、一条館は富士川に沿って来襲した徳川軍により攻め落と
され、当主信龍も討死したということですが、『甲斐国志』は
「信龍はこれ以前に病死していたとし、討死したのはその息子の上野介信就である」としているようですね。
それにしても「蹴裂」って・・・なんて読むのだろう??学がないのは困りものですねぇ。(^_^;)
さて、お隣の歌舞伎文化公園は平成6年に旧三珠町が歌舞伎の名門・市川団十郎の発祥地を記念して開設されまし
た。
面積は約2haで、天守閣があるふるさと会館では町の資料が展示されており、文化資料館には歌舞伎に関する資料が展示してあ
るとの事。
なかよし広場には遊具があり、子供達が走り回っています。
町民の憩いの場にもなっているのですね!(^_^)
おや?ふるさと会館の敷地内に銅像がありますね。隣に石碑もあります。
ふむふむ・・どうやら旧三珠町は、山梨県での水力発電発祥の地でもあるようですね!(・0・)
胸像は発電所の建設に尽力した秋山喜蔵氏(甲府電力の創業者)を顕彰するもので、水力発電所が稼働して100周年を記念して、平成12年に石碑とともに作られたとの事。実際の発電所はこの地から1.2km程南の光照寺の前にあるようです。
さあ、歌舞伎文化公園を抜け、金川曽根広域農道を下ります。
ナーシングプラザ三珠から町道に入り、川浦地蔵を右折。約120m程進んで左折し、薬王寺を目指します。
途中、お墓の中を通るのですが、灯籠に色紙が貼られている事に気付きました。旧三珠町の風習なのでしょうか?どんな意味があるのでしょう??(?_?)
そんな事を考えていると薬王寺に到着です。
薬王寺は天平18年行基が開いた名刹で、客殿の上段の間には、八之宮良純親王御座所の一部が保存されています。親王は後陽成天皇の第八皇子で、18歳で得
度仏門に入り京都知恩院の門跡となったが、寛永20年12月に名妓との色恋沙汰を咎められ、甲斐国に流されたようですね。
おや?境内にカワイイお坊さんを発見!パチリ。
薬王寺を出て、芦川駅に向かう途中で・・・とっても怖いカカシに遭遇・・・。(T_T)
おやおや!こっちには上目遣いのワンちゃんが!怪しい者じゃありませんよ~。
芦川踏切を渡り右折。上野小学校を過ぎると表門神社に到着です。
表門神社は、御崎神社あるいは市川文殊とも称され、延喜式内社で由緒ある神社との事。
西側入口にある石鳥居は鎌倉時代に作られたという事ですから驚きです!!鎌倉時代という事は、600年以上前という事ですよね??(○_○)
600年前の風景を想像しながら表門神社をあとにし、県道を250m程進み右折。三珠陸橋を越え、茂永地蔵菩薩を過ぎ、火の見櫓を左折。上野踏切を越えるとゴールの甲斐上野駅に到着です。\(^O^)/
今回のコースは、市川団十郎発祥の地というだけでなく、あらゆる時代に触れる事が出来ました。国中の地形を思い浮かべると甲府盆地を中心にすり鉢状になっ
ている訳ですが、この地に人が入って来た際には盆地の底ではなく、その回りに居を構えたのか、歴史があるものは全て高い場所にある気がします。もちろん空
襲で失われたという事もあるのでしょうね。う~ん。歴史って面白いなぁ~。(^_^)b
さあ、せっかく歌舞伎文化公園に来た訳ですから、天守閣に登りますか!!
旧若草町を歩いた際に、温泉施設に寄って帰ろうと思ったら休館日だった事があったので、今回は休館日や営業時間をチェックしてきたのですよね~。只今午後
4時10分。閉館は5時ですからまだ時間は大丈夫です!入口はどこかなぁ~・・・・あれ?カーテンが閉まってますね・・・ん?入館は4時まで?・・・帰っ
て歌舞伎揚食べよ。(T_T)
【蹴裂神社について調べてみました】
「蹴裂」は「けさき」と読むとの事ですが、調べているうちに面白い由来があるという事が分かりました。以下は甲府市のHPから抜粋で
す。
『甲斐甲府の地は、昔、一面の湖水であって、冷たい水の面が、富士の頂きを逆様に映していた。
地蔵菩薩がこの土地の様子を見て、この水を除けて、陸地を造ったら、人も住まれよう、畑も出来よう、どうにか成らぬものか」と二人の神様に相談をされる。
神様たちはこれを聞いて、「いかにも道理」と賛成して、一人の神様が山の端を蹴破って、今一人の神様が山を切り穴を開けて、その処に一条の水路を開いて、大湖水の水を今の富士川へ落とさせる。
それを見た不動尊は、引っ込んではいられぬと、これも川瀬を造られる。この二仏二神のお陰で、甲府の土地は現われたのである。
山を切り穴をあけられた神は今、甲府の西に、穴切神社としてまつられ、山を蹴破られた神は、蹴裂明神として知られている。』
穴切神社の由来まで分かっちゃいましたが、もし太古の甲府が湖であったのならば、歴史のあるものが全て高い場所にあるというのもうなずけますね!