旧町名を復活させたい ~佳名(3)~

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か‐めい【佳名】
1.いい名。縁起のいい名。
2.いい評判。名声。
※国語辞典より

今年も残り2ヶ月となりました。この時期は紅葉がキレイで好きなのですが、なかなか観にいく時間がつくれません。(T_T)
紅葉といえば、このコーナーをはじめてから昔の写真を目にする機会が増え、明治〜昭和初期にかけての甲府中心街は意外と木や花が少ないことに気付きました。ちょっと中心街を外れれば田園風景が広がっていた時代ですから、今とは感覚が違うのかもしれません。
最近の中心街は建物の老朽化から取り壊され、駐車場が増えています。その影響で、以前は見ることがなかったビルの側面や裏側が目につき、景観を損ねています。そのようなビルの側面を緑化し、中心街を緑の町にするという取り組みもはじまっているようですね。
個人的には桜が一番好きなので、中心街に桜並木があっても嬉しいです。
舞鶴公園は桜のスポットとなっていますから、街中に桜並木があればお城と町の一体感が出るかもしれませんね。


さて、今回は甲府城内にあった桜並木から町名がついたという説もある、桜町について調べてみたいと思います。

桜町とは現在の丸の内1丁目、中央2丁目、中央4丁目にまたがる旧町名で、紅梅町や常盤町と同じく、藤村県令により甲府城の外堀を埋め立てて解放されつくられた町です。埋め立てられたお堀と城内を南北に走っていた土手小路が現在の桜町通りになったとのことですが、「土手小路に桜並木があったから」や「甲府城の北部内にあった桜小路の名を移した」など諸説はあるものの定かではなく、紅梅町や常盤町と同じく佳名と思われます。
桜町には2014年6月号でご紹介した通り、村岡花子さんが幼児洗礼を受けた甲府教会や県内初の私立幼稚園である進徳幼稚園、歌舞伎の盛行で名を馳せた桜座などがありました。その他にも大小の割烹料理店が軒を連ねており、八百竹、中村、開峡楼、桜寿司、桜花亭といったお店が町を華やかにしていたようです。
八百竹は戦後に転業し骨董店となりましたが、現在もその場所に存在しています。また、八百竹の南隣にある山本荒物店は慶応元年に春日町で創業し、明治初年に現在の場所へ移ったとのことで、四代目の山本仁一さんは私がこのコーナーで取り上げるずっと前から昔の町名を復活させたいという思いを抱いており、フットパスなどで訪れる人たちに歴史を伝える活動を積極的におこなっています。

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上の写真は写真は昭和初期の桜町通りで、現在の城東通り側から写したものです。右手には早川ベーカリーの看板、右上には建設中の松林軒ビルが見えます。今も現役の早川ベーカリーは昭和4年に甲府初の洋菓子店として創業した老舗で、松林軒ビルは昭和12年10月に本格的な百貨店としてオープンしました。地上6階、地下1階、5階に大食堂、6階の催事場を設け、当時の甲府市中心街では際だって高層なビルでしたが、甲府空襲で外観を残して消失し、その様子は甲府空襲のシンボル的な存在として多くの人たちの記憶に残っていると思います。
戦後は静岡県浜松市の松菱百貨店から資本援助を受け、昭和29年に甲府松菱として再開。昭和36年には国際興業に買収され、昭和38年に山交百貨店と名称を変え甲府駅南口側へ移転します。
その後の松林軒ビルは甲府会館という名称で複合娯楽施設として営業を続けますが、平成17年には老朽化に伴い解体されました。

松林軒ビルが解体されたときに、寂しい気持ちになった方は多いと思います。岡島百貨店と同じく、甲府中心街のシンボルとして生活に彩りを与えてくれていたのでしょうね。形あるものはいつか無くなりますが、せめてこのように語り継ぐことで、心に残していければと思います。

文:川上明彦

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▲現在の桜町

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▲現在の八百竹と山本荒物店

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  桜町の稲荷社祠

甲府空襲で全てが焼けてしまった甲府中心街ですが、この祠の裏には「昭和十年五月五日 合資会社松林軒 社員一同建之」と記載されていることから、奇跡的に焼け残ったものということが分かります。
戦前にあった中心街に残る唯一の存在なのかもしれません。
松林軒ビルが守ってくれたのかもしれませんね。
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