山梨県の道路元標

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いよいよ今年もあと1ヶ月となりました。早いですよね~。

さて、中央自動車道で「東京100km」と書いてある看板を見たことはありますか?
私は以前に「どこを基準としているのだろう?」と疑問に思い調べたことがあります。
ご存知の方も多いと思いますが、東京は日本橋が基準となっており立派な標があります。そしてそれを道路元標(どうろげんぴょう)といいます。では山梨県の道路元標はどこにあるのかご存知でしょうか?

そんな訳で調べてみたところ、甲府警察署の北側の城東通り沿いにぽつんとそれはありました。
日本橋の道路元標は見た目から歴史を感じるのですが、山梨県の道路元標は妙に新しく、存在感もありません。ちょっとがっかり。
なんだか納得がいかない私は、もっと詳しく調べてみることにしました。

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道路元標は1873(明治6)年に、国から各府県ごとに陸地の道のりの調査を命じたことから始まっています。
その際に日本橋に道路元標が設置されました。
その後、1919(大正8)年公布の道路法で、各市町村にひとつずつ設置することとしたようです。
設置場所は府県知事が指定することとなっており、ほとんどは市町村役場か市町村を通る主要な道路同士の交差点に設置され、山梨県も以前は錦町の交差点北西角にあったとされています。今の甲府市役所新庁舎の東南側ですね。

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しかし、いくら時代が変わったからと言って、ちょっとではありますが、基準になるものを動かしちゃって良かったのでしょうか??
どうやらそれは、現在の道路法に理由があるようです。
現行の道路法は1952(昭和27)年に施行されたようですが、その中で道路元標は道路の付属物としており特段の規定がありません。また設置義務もないため、取り壊されたり、工事などでいつの間にかなくなってしまったものも多いようです。
市町村別に設置するよう定めたにも関わらず、目にする機会が無かったのはそういう訳なのですね。
しかも、山梨県は道路元標の残存率が他県に比べて低いようです。
私が調べた範囲では、旧韮崎町、旧市川大門町、旧宮本村(甲府市御岳町)には残っているようですが、どこにどのような形であるのかは確認出来ていません。

ちなみに道路にあると言えば、道祖神もそうですよね。こちらは石で出来ていることもあり、残存率も高いのだと思います。
道祖神はもともと集落の境や村の中心、三叉路などに祀られた神様ですから、ある意味道路元標に近い存在と言えるのではないでしょうか。
道祖神は関東甲信越地方に多いそうですが、その中でも甲府は全国でも珍しい「道祖神祭礼」というお祭りを江戸時代に行っていたそうで、幕絵で大通りを飾るという大変華やかなお祭りだったとのこと。
残念ながら道路元標と同じくこのお祭りも無くなってしまいましたが、道祖神はたくさん残っていますし、せっかく独自の文化なのですから、後世に引き継いでいきたいですね。

道祖神についてはもっと詳しく調べ、またこのコーナーで取り上げたいと思います。
道路元標の場所を知っている、道祖神に関するこんな話があるなど、何か情報をお持ちの方は教えてくださ~い。


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<これしってるけ?>
石碑つながりということで「新聞発祥の地」をご紹介させていただきます。
こちらは甲府市中央4丁目のNTT山梨支社の南側にあります。

碑文には「峡中新聞は明治五年七月一日、甲府八日町十六番屋敷の地において創刊された。のち改題して、甲府新聞、甲府日日新聞を経て今日の山梨日日新聞に至る。現存するわが国最古の新聞である。ことし創刊百年に当り発祥の地をもとめて、現甲府市中央四丁目二ノ二七を得た。よってここに建碑して長く記念とする」とあります。

現在の山梨日日新聞は昨年140周年を迎えましたが、日本で一番古い地方新聞なのですよ。ご存知でしたか?