旧町名を復活させたい 〜 祝!開府500年 そして ~
1519年12月22日。武田信虎公が川田から躑躅ヶ崎へと館を移したことで、甲斐の府中である甲府が生まれました。
それから500年後の2019年12月22日に開催された「甲府生誕祭」。この日を迎えるにあたり、2017年8月19日(土)に武田神社で行われた「こうふ開府500年カウントダウンイベント500日前」を皮切りに、甲府市ではさまざまな記念事業が開催されてきました。
単発的なイベントだけでなく、リレーフォーラムや四季の賑わい創出事業など、継続的なものも多々あり、多くの市民が開府から500年目を迎えることを知るきっかけになったと思います。
全てのイベントに意味や目的があり、それぞれが素晴らしかったと思いますが、「旧町名を復活させたい!」を連載している私の立場で大変興味を持ったのが「私の地域・歴史探訪事業」や、各自治会連合会で行った冊子作成事業です。
「私の地域・探訪事業」は、地区自治会連合会が主体となり、そこへ住む市民自らが歴史や伝統、文化などを再認識し、将来に継承することを目的に行われました。
地域内の史跡等を尋ねてウォーキングをする訳ですが、大人だけでなく、子ども達も多く参加したと聞いており、大変意味深い内容になったのではと感じています。
下は相生地区自治会連合会で行ったまち歩きで使われた地図になります。弊社の本店が相生にあることから、マチコレ!の編集部で協力させていただきました。
私も旧町名の名残を見つけるため現地を歩き回ることが多いですが、やはりその場へ行ってみないと分からないことが多々あります。
また、普段は何の気なしに通っていた道も、意識して歩くことで新たな発見があり驚かされます。この事業ではそんな経験をされた方が、多くいらっしゃったのではないでしょうか?
各自治会連合会で作成した冊子に関しても、相生地区自治会連合会のものに携わらせていただきました。
「歴史を経て新しい時代に 福祉保健の町 相生 花菱」というタイトルの冊子は大変立派で、各自治会の代表者が原稿を執筆されたその内容は過去を振り返るだけでなく、これからの町のあり方にも触れ、未来を担う子ども達にも読んで貰いたい内容となっています。
このコーナーで何度も書かせていただきましたが、「こうふ開府500年」のイベントは、「2019年に開府から500年目を迎える」という事実を知って貰うことが目的では無く、節目の年をきっかけに「我が町甲府」の歴史を知り、誇りを持ち、「これからの甲府」について皆で考えていくことに重きが置かれています。
皆さんは「これからの甲府」を、どう思い描いていますか?
2021年は武田信玄公の生誕500年となります。私の勝手な位置付けでは、こうふ開府500年は地元に住む我々が甲府の素晴らしさを知り、これからのまちづくりを考えるきっかけにすることで、信玄公生誕500年は、県外へPRをして、多くの方に山梨の良さを知っていただくきっかけにすることです。
山梨県は自然が豊かで、首都圏にも近い便利な土地柄。その中でも甲府は、日常生活においては不便を感じることは少なく、とても住みやすい町だと言えます。
そして由緒正しい甲斐源氏の末裔である、武田氏がつくったという歴史があり、江戸時代には「小江戸」と呼ばれるぐらい栄え、太宰治は「文化のしみとおったまち」と表しました。
そんな「我が町甲府」を、多くの人たちに自慢したいと思うのは私だけでしょうか?
今後も甲府の、そして山梨の良いところを沢山取り上げていきたいと思いますので、共感いただいた方は「勝手に甲府大使」として、一緒にPR活動をしていきましょう!
2019年は大変お世話になりました。
2020年も変わらぬご愛顧のほどよろしくお願いいたします。
文:川上明彦