旧町名を復活させたい 番外編~遊亀公園附属動物園 後編~


11月9〜10日に開催された、遊亀公園附属動物園の100周年イベントは、延べ15,000人が来園。
10日に別会場(総合市民会館)で行われた、旧町名を復活させたい!とコラボレーションした写真展も、多くのお客様にお越しいただきました。
ご来場いただいた皆さんはもちろんのこと、ご協力をいただいた関係各位には心から感謝申し上げます。

当日の動物園は多くの家族連れの姿が見え、子ども達が動物達と触れ合ったり、イベントを楽しんだり、マルシェを楽しんだりと、とてもハッピーな空間が広がっていました。
このイベントをきっかけに、もっともっと動物園に関心を持っていただけると嬉しいです。

さて、今回も先月に引き続き、2019年に100周年という節目を迎えた、甲府市遊亀公園附属動物園の歴史を紐解いていきたいと思います。

昭和27年に動物園は大きな転機を迎えます。
同24年に遊亀公園内につくられた市立甲府病院と併設するため、結核病棟の建設が決まり、同時に動物園も市へと移管されることになりました。
終戦から7年。
私設として小林承吉氏がゼロからスタートさせた動物園は、あらためて甲府市立という立場になりました。

小林氏は園長職を退き、当時県内の甲斐犬が激減していたことから、甲斐犬愛護会の再建に向けて新たなスタートを切ります。
新生市立動物園は、「県内に生息する全ての動物を集めて展示する」というテーマの元に再スタート。
ツキノワグマ、シカ、タヌキ、キツネ、アナグマ、ウサギ、イノシシなどを集めます。

ユリ子さんの鼻をなでるタイ駐在の日本大使である太田氏

昭和29年。
わずか半年ではあったものの、ソム坊が甲府に象フィーバーを巻き起こしてから4年。
タイ国から雌の象「ユリ子」がやってきます。
再び来甲した象をひと目見ようと、歓迎会には多くの市民が駆けつけました。

ユリ子さんの歓迎会に集まる大勢の市民

ユリ子は開閉園を知らせる呼び鈴を鼻に巻いて打ちならして伝えたり、旗振り、ラッパ吹き、お辞儀など、芸達者ぶりを見せつけてアッと言う間に人気者へ。

しかし、そんなユリ子に災難が訪れます。
日差しが厳しい夏の日、「ドスーン」という音と共に、地響きが動物園事務所に届きます。
誰もが何の音か想像もつかない中で、小林君男獣医はユリ子が運動場にいないと気付きました。
数人のスタッフと一緒に、小林獣医は全速力でユリ子がいるはずの運動場へ駆け寄ります。
空堀をのぞき込むと、そこには頭を下にして手足をバタつかせているユリ子の姿が見えました。
「大変だ!」息をのむ動物園スタッフ。
しかしユリ子は暫くすると自力で立ち上がり、スタッフに気付くと、何事もなかったように長い鼻をもたげてエサをねだり始めます。
緊張の糸が切れたスタッフ達は大笑いしますが、それから2mほどある空堀からユリ子を上げる作業は、大変なものとなりました。

遊亀公園附属動物園と言えば、象のイメージが強い方も多いと思います。
それもそのはず、ユリ子がいなくなった後も、花子、万ちゃん、テル、ミミと動物園には絶えず象がいます。

来甲したテルとミミ

現在のテルは今年で41歳。
高齢となりましたが、今でも動物園の顔として頑張ってくれています。
テルは大人しくて頭が良かったことから、子どもの頃は首輪を着けて園内を散歩したそうです。
今では実現が難しいですが、テルと触れ合った当時の子ども達にとっては、最高の思い出になっていると思います。

動物園の顔と言えば、レッサーパンダも忘れてはいけません。
最初にレッサーパンダが来甲したのは昭和60年。
甲府市が中国の成都市と友好都市締結をした際に、記念に贈られたのが雄のトトと雌のヨーヨーでした。

トトとヨーヨー

当時はまだ珍しいレッサーパンダ。
来甲時には1万人以上の市民が、トトとヨーヨーを観に押し寄せました。
動物園スタッフも、中国の方の指導のもと、必死でお世話をします。
しかし、来甲から3ヶ月ほど経ったある日、事件が起こります。

出勤したスタッフが、トトとヨーヨーのオリの中に小動物を見つけたのです。
「誰だ!モルモットを入れたのは!」と、最初は誰かのイタズラと思ったスタッフも、オリの中を確認して驚きます。
それはレッサーパンダの赤ちゃんでした。

生まれたばかりのリンリン

どうやらヨーヨーは、中国を出発した時点で既に身ごもっていたようなのですが、中国側は気付いておらず、もちろん動物園スタッフも把握していなかったため、青天の霹靂となりました。
突然始まったレッサーパンダの子育て。
しかも手探り状態ですから、動物園スタッフの苦労は言わずもがなです。
そんな初代のサプライズからはじまり、レッサーパンダも途切れることなく、動物園の顔として愛らしい姿を見せてくれています。
現在、園内にいるのはホクトとクゥ。
県外にもファンが多いようです。

レッサーパンダだけでなく、甲府にジャイアントパンダが来たことを覚えている方は多いでしょう。
平成元年。
甲府市制100周年を記念して開催された「こうふ博’89」。
9月15日から11月12日まで開かれ、50万人を超える入場者数となったこうふ博の目玉のひとつは「パンダ展」でした。

ジャイアントパンダのトントン
そしてこちらがピンピン

来甲したパンダの飼育を担当するのは、もちろん動物園スタッフ。
5名が泊まりがけでの対応となりました。
主食となる竹を敷島の山まで採りに行き、悪くなっている部分は全て取り除き、キレイに洗ってパンダに与えました。
器も煮沸消毒するという徹底ぶりです。
3ヶ月の間、休み無く面倒をみた動物園スタッフの皆さんは、成田空港でパンダを飛行機に乗せた時、何事も無く送り届けられたことに心からホッとしたそうです。


100年という歴史の中で起こった出来事は数多く、とても紹介しきれませんが、いくつかのターニングポイントがあったことは知る事が出来ました。

最大のポイントは、戦後に私設動物園として復活させた、小林承吉園長の強い意志と行動力だと思います。
この時代に小林園長がいなかったら、今の動物園は無かったかもしれません。

また、その後も絶え間ない努力で動物園を引き継いできた関係者の皆さんにも、我々は感謝しなくてはいけません。
おそらく甲府で生まれ育った者であれば、必ず1つは動物園の思い出があるでしょう。
その思い出があるのも動物園に関わる皆さんのおかげだと思います。

動物園100周年を迎えた今年、時代は令和へと移り変わりました。
一昔前と比べ、動物園の存在意義も時代と共に変わろうとしています。
歴史を踏まえ、思い出を持つ我々甲府市民1人ひとりが、真剣に動物園の今後を考えることが必要ではないでしょうか?それが、動物園への恩返しになる気がします。

文:川上明彦


参考資料:山梨日日新聞(昭和62年連載「甲府市遊亀公園附属動物園70年の歩み」)、山梨百年(山梨日日新聞社)、甲府市統計書、Wikipedia

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