路線バスでゆく かいゆうほ〜若彦路編(1)〜
7月1日(日)に発行された、山梨日日新聞の創刊記念号では、「山梨 『道』との遭遇」として、県内の道に関する特集が掲載されました。1977年に公開された、スティーブン・スピルバーグ監督の「未知との遭遇」にかけたネーミングセンスは、映画好きの私にとって大変好みでしたが、内容も面白く、古代や近世の道にまつわるエピソードはもちろんのこと、著名人が語る道との思い出も興味深く読ませていただきました。
最近では地方都市の過去を掘り下げた記事があらゆる媒体で特集されており、そこからヒントを得て、これからのまちづくりを皆で考えようとする機運の高まりを感じます。
特に道は人間が生活するうえで絶対に必要なインフラ。道を見つめ直すことで、過去から学び、未来へつなぐヒントが見えてくるでしょう。
さて、これからの高齢社会で、大変重要な役割を担うであろう路線バス。もっと路線バスの事を知り、利用していただき、潤いのある生活を送っていただきたいという思いを持ち、このコーナーを連載しております。
今月号からは、甲斐の九筋のひとつである、若彦路の面影を探して「かいゆうほ」です。\(^O^)/
調べてみたところ、国中側で若彦路の最終地点となるバス停は、奈良原バス停のようです。早速、やまなしバスコンシェルジュでルートを調べましょう。(^_^)
①スマホのブラウザで「やまなし バスコンシェルジュ」を検索し て表示させる。
②「目的地までのバスを調べる」 をタップする。
③出発地に甲府駅、目的地に 奈良原と入力し、大体の時刻 を選び検索
どうやら甲府駅バスターミナルの5番乗り場から、9:23の(富士見)奈良原行きへ乗るのが良さそうです。
早速乗車し、出発です!\(^O^)/
バスは甲府の中心市街地を抜け、甲府市総合市民会館や湯田を過ぎ、身延線を越えて蓬沢へ。
若彦路は、甲斐と駿河を結ぶ古道のひとつで、道筋は甲府から奈良原を経て、鳥坂・大石両峠を越え、富士山の西麓をめぐって中道往還と合流し、吉原へ結んだと言われています。
甲斐の九筋と呼ばれる古代から中世にかけて整備された古道は、甲府市酒折付近で交わると言われており、酒折宮は、日本武尊が東国を支配した帰路の途中で立ち寄った際に、老人と歌のやり取りをしたことから、連歌発祥の地となっています。(メイン写真)
若彦路という名称も、日本武尊の子「稚武彦王(わかたけひこおう)」に由来するようで、この古道は古事記の中の物語と現代を繋ぐ道のようにも感じます。(^_^)
酒折宮からはじまる若彦路が、どのようなルートで奈良原まで続いたのかは、当時とはあまりに地形が変わっているため定かではありません。しかし、現在の城東通りにある「善光寺入口」のT字路から、東に100m程のところにあるガソリンスタンド西側辺りが、若彦路の出発点ということなので、濁川沿いに下り、蓬沢町辺りで今の青葉通りと合流したのでは?と想像します。
ちなみに蓬沢という地名は室町時代から見られ、低湿地帯であったことから、ヨモギの生えるような沼沢地だったことに由来しているそうです。
バスは西高橋、大黒橋を経て、平等川を渡り笛吹市へと入ります。
平等川を境に甲府市と笛吹市に分かれていることから、西高橋と東高橋は所属する市が分かれていますが、以前は同じ高橋村でした。江戸期辺りで平等川の流路変更があり、東西へと分断されたようです。同じ高橋でも、西と東で行政サービスが変わるというのは、ちょっと不思議な感じがしますね。(・0・)
バスは富士見農協を過ぎ、河内バス停へ到着。
以前から県道22号線を通る度に、河内交差点の南西にある佐久神社の存在がとても気になっていました。良い機会なので、立ち寄ってみます。
佐久神社は、甲斐国の開闢祖神(国を開いた神様)として仰がれた「岩裂(いわさく)」、「根裂(ねさく)」の二神と「天手力雄命(あめのたじからおのみこと)」を、5世紀頃、国の中央にあたる現在地に祀ったものといわれ、我が国最古の宮社一覧表である延喜式神名帳の甲斐国の式内二十座に登録されているとのこと。
また、境内には要石と称する石があり、甲斐国の中心標として、同国測量の基点と伝えられています。
何気なく立ち寄った神社が、まさか甲斐国の中心だったとは驚きです!(O_O)
(次回へつづく)
文:川上明彦