路線バスでゆく かいゆうほ〜ボロ電の面影探訪編(5)〜

甲府駅から出発してまもないボロ電。警察署前辺り。昭和36年12月
写真提供:一般財団法人 東武博物館 名誉館長 花上嘉成氏

 梅雨明けが待ち遠しい今日この頃、お変わりなくお過ごしでしょうか?この時期に欠かせない傘。車の移動が多い山梨では使わなくて済む事も多いですが、私は折りたたみ式のものを、持ち歩くようにしています。
 しかし、外へ出る時に晴れていると、ついつい持っていくのを忘れてしまいますよね。そんな方の為に、弊社善光寺店の自動販売機に、レンタル傘が設置されました。ダイドードリンコさんの地域貢献事業として、2015年10月から関西でスタートしたそうです。地域の方々に必要とされる企業を目指す弊社としては、とても共感出来る取り組みです。(^_^)

 さて、これからの高齢社会で、大変重要な役割を担うであろう路線バス。もっと路線バスの事を知り、利用していただき、潤いのある生活を送っていただきたいという思いを持ち、このコーナーを連載しております。今月も引き続き、ボロ電の面影を辿りながら「かいゆうほ」です。\(^O^)/



 長沢新町バス停から250mほど歩くと、ボロ電の車両が展示してある、利根川公園へと到着です!(^_^)
 「ゆるやかに流れる利根川に沿ってつくられた利根川公園。プールやゲートボール場、遊具広場、町民体育館を備え、様々なスポーツが楽しめます。駐車場、トイレも完備されていて安心。散策道は、旧利根川沿いに東西1.8kmに及び、春の桜並木はすばらしく多くの方が訪れます。
 また、昭和23年に製造され、昭和32年までここ増穂や甲府盆地を走った路面電車が交通輸送歴史の記念として設置されています。面影の残る路面電車に見守られ、気軽にスポーツを楽しんでみてはいかがですか?」(富士の国やまなし観光ネットより抜粋)


 さて、昭和5年に誕生し、昭和7年に全線が開通。昭和37年に幕を閉じたボロ電。導入当時は、真新しい車両に靴を脱いで乗った人もいたそうです。
 こちらの車両は昭和37年にその勤めを終えた後、長野県の上田丸子電鉄で走り、昭和46年から神奈川県の江ノ島電鉄へと移って、藤沢〜鎌倉間を走りました。江ノ電時代は「チョコ電」の愛称で親しまれましたが、昭和61年に老朽化から廃車。旧増穂町民の強い要望で、24年ぶりに里帰りを果たしました。
 現在、この車両をオリジナルに戻そうという活動があるようです。当時と全く同じ車両が走る姿も見たいなぁ。(^o^)

小笠原の瀧沢川を渡るボロ電。背後にはうっすらと富士山が見える。昭和36年3月
写真提供:一般財団法人 東武博物館 名誉館長 花上嘉成氏
着物姿に足袋、下駄という姿が伺える甲府駅前。昭和36年12月
写真提供:一般財団法人 東武博物館 名誉館長 花上嘉成氏
ボロ電の甲府駅を裏側から見た様子。出発を控えている車両が見える。昭和36年8月
写真提供:一般財団法人 東武博物館 名誉館長 花上嘉成氏
寿町辺りを走るボロ電。車の通行はまだ少ない。昭和36年12月
写真提供:一般財団法人 東武博物館 名誉館長 花上嘉成氏

 ボロ電の歴史はわずか32年ではありますが、その間にさまざまな出来事がありました。特に昭和20年の甲府空襲と、昭和34の大型台風では、多くの損害が出たにもかかわらず復活を遂げており、関わった方々のご努力は並々ならぬものだったと思います。戦後は年間に2〜3百万人の利用客があり、そのひとり一人にボロ電に関する物語があると思うと、言葉にならない気持ちを抱きます。
 現在の路線バスも、利用者が減っていることから、赤字路線が廃止へと追い込まれています。このまま路線バスまで減っていくと、自動車の運転が出来ない人たちは、とても不便な生活を強いられる事になります。

 今回、ボロ電の面影を探りながら、あらためて公共交通機関の重要性と、後世に繋げていく必要性を感じました。県民にとって自家用車は必要なものではありますが、あえて仕事にはバスで行くことが、公共交通機関を守ることにつながると思います。
 まずは月に1〜2回、路線バスでの出勤を試してみてはいかがでしょうか?

文:川上明彦

取材協力:ボロ電ロマン、山梨交通鉄道線回想録、山梨百年