第27回 言論の自由を守るために

山梨日日新聞は昭和38年11月6日、紙齢3万号を迎えた。当時は1面に社説があり、「”三万号”とその体質」と題して、「現存する日本最古の地方紙として、郷土はもとより全国にその輝かしい存在を誇示できるというのも、本紙が一貫して中立公正の立場において言論の抑圧と戦い、正しく親しまれる新聞づく
りを至上精神としてきたことが、県民各位の知性に大きく支えられた結果と信ずる」と書き始めてい。
同時に「歴史が古いことだけを尊しとするわけではない」と断った上で新聞の歴史は、絶えず過酷な言論弾圧にあいながらの歴史であったことに触れている。そして「しかもなお”声なき声”の世論を背負って、勇敢に信ずるところを主張し続けてきた新聞の体質を知ってもらいたい」と訴えた。さらに「これからも言論の自由を守るために、あらゆる努力を尽くす」と明記、改めて力強い一歩を踏み出す意欲を示した。
明治の創刊以来、先人たちは時に刑務所に入れられ、新聞の発行を禁止され真実を表現する手段を奪われたという弾圧を受けている。
この3万号の宣言以降も、山梨日日新聞に限らず報道に対して様々な圧力がかかっている。
言論・表現の自由を脅かす力は留まらず、常に緊張感を持った対応に迫られている。
文化、スポーツ面での事業活動に加え、45年5月には『財団法人山梨日日新聞厚生文化事業団』が発足した。年間を通じて社会福祉関係の寄託金を受け付け、関係先に助成を行っている。
阪神淡路大震災の折は数億円の寄付を集め、全国の新聞社の中で突出した支援活動を果たした。首都圏の大学研究者が「なぜ山梨でこのような活動ができたか」を資料に基づいて分析し、「新聞が地域の人たちに密着し、信頼されているから」と結論付けた。
技術革新も目を見張るものがある。活字を使った印刷からコンピュータ入力。山岳地帯で取材し、写真フィルムを締め切り時間に間に合わせるために、鳩を携行してその足にフィルムをつけ、甲府の本社に飛ばしたという時代からは、想像できない通信の発達。高速輪転機による、早くきれいな紙面づくり。もっとも重要で信頼できる情報源としての新聞は、その使命を果たすために努力を続けている。