旧町名を復活させたい 五丁下り
~城屋町、和田平町、上一条町、下一条町、金手町~
いよいよ暖かくなってきましたね。ポカポカ陽気の中で街を歩けば、新しい発見があるかもしれません。今回は春の訪れを感じながら五丁下りを歩き、旧町名の面影を探していきます。
五丁下りとは、旧金手町から旧城屋町までの旧甲州街道を指し、現在は城東1〜5丁目となっています。城東通りと呼ばれているこの通りは江戸時代の主要幹線 道路でした。当時は石和の宿を出て、横根〜山崎〜板垣を過ぎ、甲府への第一歩を踏むのが城屋町で、和田平町、下一条町、上一条町、金手町とつづき、甲府の 中心部である八日町へと入ることから、いつの頃からかこの5つの町を合わせて五丁下りと呼ばれるようになったそうです。
ここは旧八日町 から旧金手町に入って直ぐのクランクです。金手町は甲府城の築城により成立した新城下町のひとつで、甲州街道が直角に曲がり、曲尺(かねじゃく)のようだ ということから命名されたようです。
クランクの手前には五味醤油株式会社があります。明治元年に創業したみそや醤油の醸造を営む老舗です。現在はみそを中心に地域性を生かした特色ある製品の開発・研究に励んでいるとのこと。
クランクを進み、東へと曲がる手前には穴水株式会社があります。明治5年に現在とほぼ同じ場所で創業した老舗です。創業当時の名称は穴水嘉三郎商店で、油類や塩などを販売していたとのこと。(写真③)
旧甲州街道を東へ暫く進むと、城東一丁目の交差点付近で甲府市立図書館の看板が目に止まります。こちらを敢えて市立図書館側とは逆の左側へと曲がると、旧町名の面影を発見。
こちらは金刀比羅神社の敷地内にある、上一条自治会の施設です。
こちらの神社は2015年12月号でご紹介した、大久保長安が建立に関係しているという説アリ。現在も一条町の金刀比羅さんと町の人たちに親しまれているようです。
旧甲州街道へと戻り、更に東へと進んで行くと、今度は下一条自治クラブの看板を発見。やはり自治会の名称は旧町名を使っているものが多いですね。
若い人たちも自治会の活動を通じて旧町名とその歴史を知れるのはいいことです。一条町は古代に「一条の里」、中世には「一条庄」、武田氏の時代には「一条 小路」と呼ばれていた所からついた名称とのこと。一条とは古代から中世後期にかけて行われた土地区画制度である条里制の名残りで、甲府付近では甲府城の天 守台がある丘陵、一条小山と笛吹市一宮町の茶臼山を結ぶ直線と定めていました。地図をご覧いただければ、今でも甲府市の主要道路が五丁下りの直線に対して 平行か直交していることが分かると思います。
和田平町は甲府城築城による新城下町のひとつとして成立。NHKの連続テレビ小説「花子とアン」の主人公、村岡花子さんの生家は和田平町だったという説もあります。ドラマの中ではもの凄い田舎でしたが、実際は違ったかもしれませんね。
城屋町も甲府城築城の際に成立し、古府中の城屋小路から名を移しました。五丁下りもこの町までとなりますが、ここには素晴らしい土蔵づくりの家が残りま す。
ここら辺は甲府空襲の際に全て焼けてしまったのですが、こちらの家だけは焼け残り存在感を示しています。江戸時代後期(※)に建てられたそうですから 150年近く経っていることになりますが、持ち主の方が綺麗に維持されているということで頭が下がります。ちなみにこの土蔵造りの家の斜向かいには明治5 年に創業の老舗、山一窯業株式会社があります。創業当時は土器、瀬戸物の製造販売店でしたが、現在はコンクリート二次製品の製造と販売をしています。
五丁下りには、目に見えて分かりやすい旧町名の名残は少ないかもしれません。しかし、この道自体が条里制の遺跡とも言える存在ということが分かりました し、明治期に創業した企業がいくつもあることから歴史も感じられました。散歩にはもってこいの季節です。皆さんも歩いてみてはいかがでしょうか?
文:川上明彦
(※)マチコレ!誌面では大正時代に建てられたとご紹介しましたが、関係者の方から江戸時代後期とのご連絡をいただきました。お詫びして訂正いたします。
旧金手町の五味醤油がはじめた「手前みそ加工スペース」。手前みそづくりや食をキーワードに、たのしくつくって育てて交流できる空間です。キッチンも完備しているので、加工商品づくりも可能。内容によっては場所貸しもOKとのこと。大人気の手前みそ教室にお子さんやお孫さんと参加するのも楽しいですよ!
五味醤油株式会社
住所:山梨県甲府市城東1-15-10 電話:055-233-3661
E-Mail:info@yamagomiso.com URL:http://yamagomiso.com
営業時間:9:00~18:00 定休日:日曜、祝日(お盆、年末年始)
駐車場:15台完備