相生という地名から歴史を紐解く
【甲府駅の写真】 昭和33年の甲府駅南口。面影は今も残っているがエクランなどのビルが全くない。
既に新聞折込チラシなどでご案内させていただいていますが、この度ニュースコムの支店を統合することになりました。
相生にある本店を含めて6つあった支店を、9月から3つの拠点にまとめます。
今までの支店は、北店、東店、南店、西店、南西店と本店を中心に方角で名前が付けられていました。
ニュースコムは甲府の地に57年間、地域に根差し、地域の皆様に支えられてきた企業です。そして今後も地域の方々に必要とされる企業を目指します。そんな思いを込めて、今回の統合をきっかけに「相生本社」、「善光寺店」、「湯村店」と店舗のある地域名を名称へ入れることにしました。
今後も変わらぬご愛顧をよろしくお願いします。
さて、支店名を変えようと考えていた時にふと思ったのが「相生(あいおい)ってどういう意味なんだろう?」ということ。
善光寺や湯村は分かりやすいですが、相生とはその言葉の意味も知りませんでした。
辞書で調べてみると
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① 一つの根元から二つの幹が分かれ出ること。
②「相生挿し」の略。
③「相老(あいお)い」に同じ。
④ いっしょに生まれ育つこと。
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とあります。
どうやら仲が良いとか、長寿という意味があるようです。
ではいつ相生という名が付いたのでしょう?
現在の相生1~3丁目が生まれたのは昭和39年9月1日で、相生の前身となる「相生町」は明治9(1876)年に縁起が良いという理由で命名されたようです。それまでは片羽町という名称でした。
道の片側にしか町並みがなかったので片場町と呼ばれ、柳沢吉保が甲府へ国替えになったことをきっかけに「場」が「羽」に変わり片羽町へなったとのこと。
現在の相生2丁目の一部が旧相生町になるようですが、どうやら江戸時代は商工会議所の北側に道を挟んで甲府城の外堀があり、片羽町口御門という正門に続く門があったみたいです。
明治維新の際に、板垣退助率いる官軍が甲府城へ無血入城しますが、この片羽門を通って入城したようです。う~ん・・・なんだか相生ってすごい!ちょっと興奮しちゃいました。
ちなみに、昭和の大合併を機に泉町、西青沼町、二十人町が相生1丁目に、相生町、泉町、二十人町、代官町、佐渡町が相生2丁目に、伊勢町、三吉町が相生3丁目になったとのこと。
さて、今回は相生という名前から少しだけ歴史を紐解きましたが、調べていくうちに資料などから古き良き日本の文化に触れることができました。
発展をしていく終戦後の写真に写っている人たちは温かく、活気があり、希望に満ち溢れているように感じましたが、現代に溢れているのはモノや情報ばかりで、どこか中身が足りない気がします。
技術の進歩や人口の増加とともに生活も欧米化が進み、集団で寄り添い合っていた日本人の生活スタイルが忘れ去られ、首都圏では加入率が約40%の自治会もあるようです。
21世紀を迎え高齢先進国となった日本は、人口が大幅に減少していくと予想されています。
子ども達に自信を持って「日本の未来は明るいよ」と言えるよう、我々は足りない中身を見つけなくてはなりません。
私は今回の取材を通じて、そのヒントは過去にこそあるのではないかと感じましたが、皆さんはいかがでしょうか?
(文/川上明彦)
【常磐通り】
岡島の屋上から西側へ向かって撮影。道路に車はほとんど無くのんびりした風景。
現在の相生通り。
【参考資料】
写真集 甲府物語 ー市政100周年記念ー
山梨県立図書館・甲府市立図書館 蔵書