旧町名を復活させたい 〜双葉町④〜

大垈地区から見える富士山

今月も地域の歴史を知り、地域に愛着を持って仕事に取り組むべく、旧双葉町の歴史を紐解いていきたいと思います。

旧道(穗坂路)を進み、双葉東小学校を過ぎると、大垈公民館が右手に見えてきます。
大垈は、古くは大沼田と書いたようで、大きな沼を水田としたことに因んでいるとのこと。
甲斐国志によると、集落はもともと今よりも18〜19町ほど東側の伊豆宮という場所にありましたが、慶長17(1612)年に亀沢から用水を引くことになり、現在地へ移ったそうです。
伊豆宮という行政区分は残っていないようですが、どの辺りのことを指しているのでしょう?1kmが9.16667町ですので、18〜19町は2kmほどになります。
該当する辺りを調べてみたところ「伊豆ノ宮溜池」という農業用溜池を発見。
現地へ行ってみると、溜池は立ち入り禁止で見ることができませんでしたが、入口付近にある石碑に「登美村大垈伊豆宮」と記されているのが見えました。

伊豆ノ宮溜池

この辺りを散策すれば、集落の名残が見つかるかもしれませんね。
その他、伊豆宮の面影でいうと、大垈集落の金山神社では、毎年4月15日に「伊豆ノ宮大権現湯立祭」が行われていたそうです。
金山神社の創建年代は分かっていませんが、元々は伊豆宮の裏山に祀られていたとのこと。

金山神社

集落の移動に合わせ、現在地へと移され、元和年間(1615〜1624年)に大垈集落の産土神(うぶすなかみ)として安置されました。
産土とは生まれた土地という意味で、産土神はその土地を守護してくれる神様となります。
また、金山という名前からは、この地には刀鍛冶や鋳物師、鉱山師など、金属加工に関わりの深い職人さん達が住んでいたと推察されます。

湯立祭は、金山神社の境内にある大小七社の石祠の前で、長田姓を中心に十数軒の氏子たちで行われるそうです。

石祠

大釜で湯を沸かし、集まった人々に笹で湯をかけ、家内安全、無病息災を祈念します。
また、家族の繁栄と五穀豊穣を願い、芋田楽を奉納し、それを氏子たちが持ち帰ります。
さらに湯立てに使用した笹で繭を作らせると、養蚕は豊作になるそうです。
現在は行われていないようですが、この神事は市の無形民俗文化財に指定されています。

さて、旧道を更に進むと、右手に大きな常夜燈と道祖神が現れます。

常夜燈と道祖神

旧道を歩いていると、これ以外にも石造物が多く見られますし、土蔵や長屋門、養蚕農家だったであろう家屋など、時代を感じる建物が多く残っていることにも気付きます。

古穗坂路

さすが歴史のある穗坂路ですが、実は穗坂路にはふたつ目のルートが存在するそうです。
ふたつ目は、竜地より分かれ、下今井、志田、宇津谷を通るルートとのこと。
ひとつ目の経路は「古穗坂路」と呼ばれており、古代の穗坂路はこちらと考えられていますが、中世以降は信濃国との関係から、ふたつ目の経路が発達したようです。
ふたつ目の穗坂路が通る下今井は、江戸時代に整備された、旧甲州街道の面影も感じられる集落です。

下今井集落

古くは志田今井と書いたそうですが、甲斐国内に同名の村が多いことから、近村の村名を冠して区別する時期があったようで、お隣の志田村から拝借したようです。
元々下今井の集落は現在の塩崎駅辺りにありましたが、坊沢川の度重なる氾濫の影響で、大永年間(1521〜1527年)に現在地へと移転し、その時に志田と今井に分かれたと言われています。
その後、上今井に対しての下今井と称しますが、この上今井とは、現在の韮崎市穂坂町上今井のことを指していると思われます。

県道6号甲府韮崎線の下今井上町交差点を左折し、風情のある町並みを楽しみながら進んでいくと、左に大きくカーブする道と、真っ直ぐ進む道に分かれるY字路が現れます。
Y字路には庚申塔があり、下部はコンクリートに埋められているため完全には見えませんが、「右 市川 駿河」、「左 甲府 江戸」と書かれてあるようです。

庚申塔

当時の人たちは、この道標を頼りに甲州街道を往来していたのでしょうね。
普段は中々目に入りませんが、このような道標は意外と身近にあるものです。
例えば竜地にある妙秀寺の境内にある百観音には、「左にらさき道 右やまのかみ道」と記されています。

百観音

このやまのかみ道とは穗坂路を指します。
また、団子新居と岩森の境を通る島上条宮久保絵見堂線には、「右山道左逸見路」という道標が復元されています。

復元された道標

逸見路は甲斐九筋の1つで、別名諏訪口ともいいます。
甲州街道が出来る以前は、諏訪方面に至る重要な交通路でした。
諸説があるようですが、起点は甲斐市大下条の貢川橋付近といわれており、現在の中央自動車道に沿って北進するルートだったようです。

北進していくと県道6号甲府韮崎線にぶつかりますが、前途の妙秀寺の辺りに出たようで、百観音の道標は逸見路を上ってきた人たちに向けられていたと考えられます。
旧双葉町は、穗坂路、逸見路、甲州街道と、甲斐九筋の内の3つが存在する地域。
しかも、面影を色濃く残しています。
春の足音も聞こえてきたことですし、散策して回るのも良いのではないでしょうか。


さて、「Mattocileci」もマチコレ!の休刊と共に、今回が最終回となります。
このコーナーは2013年4月号から、「やまなしの魅力を再発見する」というテーマでスタートしました。

はじめは、やまなしで活躍されている人と対談をしたり、知っているようで詳しく知らなかったスポットを深掘りする形で、やまなしの魅力を探ってきましたが、2014年3月にNHK連続テレビ小説で「花子とアン」がスタートしたことを切っ掛けに、「旧町名を復活させたい!」の連載がはじまりました。

連載の目的は、実際に旧町名を復活させることではなく、地域の皆様に旧町名を切っ掛けに町の歴史や当時の人たちの価値観、思いを知ってもらい、我が町に誇りを持ってもらうことでした。
誇りが持てれば「私が生まれた町(住んでいる町)は、良いところだよ」と自慢したくなり、住んでいる1人ひとりが自慢をすれば、きっと町は活気づくはず。
それが、未来のまちづくりに繋がるだろうという思いがありました。

奇しくも、マチコレ!が休刊となるこのタイミングで、「花子とアン」が再放送されています。
これも何か意味があるのかなぁと思いつつ、筆を擱きたいと思います。

連載にあたっては、多くの皆さんに励ましのお言葉をいただいたり、貴重な資料をご提供いただいたりと、大変お世話になりました。
春の訪れと共に、皆々様の上にも幸せが訪れますようお祈りいたしております。

文:川上明彦

参考資料:双葉町ところどころ(保坂吾良吉著)、甲斐市ちいさな旅13、角川日本地名大辞典、甲斐の国 山梨の道を探して、Wikipedia