路線バスでゆく かいゆうほ〜若彦路編(4)〜


 10月5日(金)付の山日新聞に、県内液状化マップが掲載されました。液状化の危険度を分かりやすく色分けしたこの地図は、東日本大震災をきっかけに、山梨県が2013年に制作したものです。まずは自分が住んでいるエリアが、どのような特性を持つのかを知ることが大切。地元紙ならではの良い記事でしたが、見逃した方は山梨県のHPでも公開されているのでご覧ください。
山梨県液状化危険度マップ:http://www.pref.yamanashi.jp/bousai/ekijyouka.html

 さて、これからの高齢社会で、大変重要な役割を担うであろう路線バス。もっと路線バスのことを知り、利用していただき、潤いのある生活を送っていただきたいという思いを持ち、このコーナーを連載しております。今月号も引き続き、甲斐の九筋のひとつである、若彦路の面影を探して「かいゆうほ」です。\(^O^)/



 笛吹市役所八代支所バス停を出発したバスは、森の上のT字路を右折し、県道36号線を上っていく・・・と思ったら、突然T字路の手前を右折します。
 え?なんで?どこ行くの?かなり細い道ですけど・・・と驚いていると、森の上バス停が出現。(・O・;


 細い道をモノともせず、バスはグングンと進み、県道36号線を横断し、またまた細い道を進みます。もしかしてこの道は、県道36号線が出来る前の旧道なのでしょうか?昔の移動手段は徒歩や馬だったので、今と比べて道幅は狭く、主要な街道沿いにも家が建ち並んでいましたが、車での移動が主流となった現代の道は、集落を避ける形で通されることが多いかと思います。県道36号線の歴史もそうなのかなぁと考えている内に、バスは高家の集落へと入ります。

 私は「たかいえ」とか「たかや」と読むのだと思っていた「高家」。標識を見ると「koka」と記されています。不思議な読み方に興味を抱き、調べてみたところ、南北朝期から江戸期にかけて、この辺りは「小岡郷」と呼ばれていたことが分かりました。なるほど。笛吹川へと繋がる浅川沿いに上っていくこの辺りは、小さい丘(岡)ということで、小岡郷と呼ばれていたのですね。(^_^)
 しかし、なぜ「小岡」が「高家」になったのでしょう。ちょっと疑問が残ります。更に調べてみたところ、違った角度の見解も見つけることができました。古代甲斐の国には国府が御坂に置かれていましたが、高家は八代郡の中心に位置していたことから、郡家(こうげ:郡の官人が政務を執った役所)があった所と考えられ、郡家が高家へ転じたとのこと。(・o・)個人的にはこちらの説の方が好みですが、もし理由をご存知の方がいたらご一報を!
 バスは下高家、高家岡入口、辻を過ぎ、県道36号線へ入って下之川、竹居、門林下と進み、門林バス停へ到着。バス停から100mほど進むと、左手の細い道の入口に「リニアの見える丘 花鳥山展望台」という看板があります。展望台まで500mと書いてあり、尻込みする距離ではありますが、以前から気になっていたので行ってみることにします。えっちらおっちらと、10分弱ほど歩いて到着。素晴らしい景色です!歩いた苦労が報われました!


 桜や桃の花の季節は、更に美しい景色が広がるのでしょうね。再度訪れたいスポットを発見しちゃいました。\(^O^)/
 展望台の隣では、花鳥山の一本杉が存在感を示しています。一本杉は、元来2本のものが合着したもので、幹は空洞になっていますが、樹勢は旺盛とのこと。樹齢は分かりませんが、江戸時代の書籍「甲斐国志」にも記述があることから、古くからこの地に存在していると思われます。


 バスは目的地の奈良原バス停へと到着です!奈良原は室町期から見られる地名で、書物によっては楢原とも記されているようです。なるほど。県道36号線から左へと集落に入っていくと、風情のある町並みです。


 地内には縄文時代の集落跡などがあることから、太古から人の営みがあったと思われますが、近世では応永17(1410)年に開山された、臨済宗広済寺の門前村として成立しました。広済寺は代々国守の庇護を受けて栄え、武田信虎、信玄、勝頼とも縁が深かったとのこと。
 以前に訪れた時は立派な山門があったのですが、残念なことに先日の台風24号の影響で倒れてしまい、現在は撤去されています。

▲以前
▲現在

 甲斐の九筋のひとつ若彦路は、このまま鳥坂峠を越え芦川へと至り、更に大石峠を越えて富士北麓の大石村(富士河口湖町大石)へと抜けていきますが、甲府駅バスターミナル発の路線バスで行けるのは、奈良原バス停まで。
 石和駅を起点とした笛吹市の市営バスであれば、芦川まで行くことが可能ですので、途中で乗り換えるのも有りかと思いますが、バスの数が限られていますので、よく調べてからのご利用をオススメします。

 さて、甲府市は2019年に開府500年を迎えますが、甲府が甲斐の国の府中になったのは、「たかだか500年前」と思えてしまうほど、4回に渡って連載してきた若彦路の旅では、幅広い歴史を味わうことが出来ました。本当は、まだまだご紹介したいスポットがたくさんあったのですが、コーナーのスペースに限りがあることと、バス停からの距離を鑑みて断念しました。
 また、出来れば鳥坂峠、大石峠を越えて行き、古代の日本人が見ていた風景も味わいたかったです。それはまた次の機会に、しっかりと準備をして臨みたいと思います。

文:川上明彦

参考資料:角川日本地名大辞典、Wikipedia