第26回 混乱期に悲劇と快挙

戦争が終わり、復興に立ち上がった甲府市民に人気があったのは「青空温泉」だったという。空襲の心配がなくなり、焼け跡に湧き出したままの温泉で、一日
の疲れを癒すのが嬉しかったというのだから、それ以前の状況がいかに過酷を極めたのか想像できる。
徐々に復興の足並みは早くなるが、暗い事件も
相次いだ。昭和24年7月6日、当時の国鉄(現JR)下山総裁が轢死、7月15日、東京・三鷹駅の車庫から無人電車が暴走し、駅前の交番や民家に突っ込ん
で6人が死亡、9月17日、福島・松川駅近くのカーブで列車が脱線転覆して2人が死亡した。謀略説が飛び交い、後に小説の題材にもなったが、新聞は事実を
淡々と報道した。戦時中軍部の一方的な情報操作による紙面づくりを反省した姿にも見えた。
一方で、ロサンゼルスで開かれた全米水泳選手権で古橋
広之進が1500、800、400メートル自由形に出場、世界新で優勝した。この報道では自信をなくした日本人にこの上もない喜び、感動を与えた。「富士
やまの飛び魚」と呼 ん で 、日 本 中 が 沸 き 立 っ た の は 8 月 の こ と だった。
この時期山梨日日新聞は文化事業
に、スポーツ振興にと様々な読者との結びつきを強めていく。25年、観光山梨新十景募集、模型飛行機大会、現在まで続く学童書きぞめ席書き大会の復活、県
下一周駅伝の前身とも言える甲信(甲府ー岡谷間)駅伝競走、学校新聞コンクールなどを実施した。
27年には創刊80周年を迎えて生活文化賞を制
定したほか、80周年にちなみ県内の80歳以上の高齢夫婦に記念品を贈って祝った。28年、甲府市出身の太田一郎駐タイ大使の斡旋で甲府市立動物園に象が
到着。戦争中にほとんど動物がいなくなった同園で、いち早く人気者となった。山梨日日新聞が名前を募集し「百合子」と命名された。
塩山、都留、
山梨、韮崎の各市が市政を施行したのを祝ってそれぞれの市章を募集、選定して贈ったのは29年のことだった。