旧町名を復活させたい ~佳名(4)~


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か‐めい【佳名】
1.いい名。縁起のいい名。
2.いい評判。名声。
※国語辞典より

えびす講祭りも終わり、いよいよ年末だなぁと実感しております。
数年前までは余裕がなかった為か、いつの間にか年が明けて日常の延長でお正月が終わる私でしたが、最近はこのコーナーを通じて学んだおかげで地域のお祭りや風習が四季を感じさせてくれます。
それもこれも、古き良き日本の文化を引き継いできた諸先輩方のおかげです。


さて、今回取り上げる旧町名は春日町です。現在の中央1丁目が旧春日町、裏春日町となりますが、この町も甲府城の外堀を埋め立てて開放された土地につくられました。元々は武家屋敷があった場所のようで、明治8〜昭和39年の89年間に渡り使われた由緒ある町名のひとつです。
春日町といえば、私は以前より春日小学校がなぜ丸の内にあったのかが不思議でした。春日小学校は平成17年に児童数の減少から穴切小学校や相生小学校と統合され、現在は舞鶴小学校となっていますが、春日町と春日小学校はどのような関係にあるのでしょうか?
調べてみたところ、やはり春日小学校は春日町にあったことが分かりました。
春日小学校が創設されたのは明治43年4月1日。甲府市の人口増加や義務教育年度の延長などの背景から、現在の甲府商工会議所の対面に春日尋常小学校として誕生しました。
実はこの場所、もともとは相生尋常小学校があった場所だそうで、旧校舎を使用しての創設だったようです。

旧相生尋常小学校の場所は甲府市相生町でしたが、地番が跨がっていることから新設された小学校名を春日としました。その後、大正3年に同地へ甲府市役所の新庁舎が建設されることになり、甲府市工町の旧琢美尋常小学校跡へ移転。大正9年に甲府市百石町(現在の場所)へ新校舎を建築して移転したとのこと。

どうやら春日小学校は「生まれは春日町で育ちは百石町」のようですね。昭和初期の地図を見ると、既に甲府市役所となっており、相生小学校も代官町に記されています。

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こちらの写真は昭和初期の春日通りを南側入口から撮影したものです。
右側に見える建物が甲府市役所庁舎。

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▲春日小跡


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こちらは昭和15年ごろの春日通りの写真です。右側のビルは岡島百貨店で国勢調査の垂れ幕がかかっているのが見えます。ちょっと驚いたのが左上の看板。春日通りに温泉旅館があったのですね。
調べてみたところ、こちらは東洋館といい、太宰治が滞在して初の長編小説を書き上げた温泉旅館とのこと。現在、甲府中心街で温泉と言えば談露館やアーバンヴィラ古名屋ホテルが思い浮かびますが、当時は10軒以上の温泉旅館があったようです。
そういえば現在「KOFU FOOD VILLAGE」として出店者を募集している芳野ビルに、以前は温泉があったと聞いたことがあります。もしかしたら今でも温泉が出ているのでは?

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▲現在の春日通り


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こちらは昭和初期の裏春日通りです。
左側に見える洋風建築は山梨教会で、現在は甲府市国母に移転しています。右下に写っている赤ちゃんをオンブした小学生ぐらいの女の子から、当時の長閑さが伝わってきますね。

ご存知の通り、甲府市中心街は空襲によって全焼したので、写真の中の建物は何一つ残っていません。しかし、戦後は諸先輩方のご努力により早々に復興し、春日町や裏春日町は甲府一の歓楽街となりました。
マチコレ!をご愛読いただいている皆さんの中にも、露店で買い物をしたり、電気館やセントラルで映画を楽しんだり、横丁で友人と飲み明かした思い出がある人も多いと思います。聞くところによると、当時の甲府中心街は「東の甲府、西の広島」と言われるぐらい、横丁文化に活気があったそうですが、昭和48年生まれの私でも子供の頃に感じた町の賑やかさ、華やかさは記憶に残っています。
我々の世代は春日町や裏春日町という名称と共に、焼け野原から甲府一の歓楽街へと復興させた歴史も合わせ、後世に伝えていくべきだと感じます。

文:川上明彦

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古き良き甲府の横丁文化を切り口に、中心街の活気を取り戻そうと活動する「甲府ん!路地・横丁楽会」という団体があります。メンバーはNPO法人こうふ元気エージェンシーを中心に、学識経験者や市民活動家、経営者などの賛同者で構成され、現在は横丁マップの作成を進めています。
今月号の表紙のスケッチでとりあげたオリンピック通りをはじめ、甲府中心街の横丁には魅力溢れる名店がまだまだたくさんあります。どこか懐かしさを感じる横丁で甲府が誇る文化を改めて感じ、他県の方達に自慢をしましょう!

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