2009年4月号 信玄公祭り

 発祥は1947年(S.22)。花見の季節に合わせた売り出しを目的に甲府城舞鶴公園で開催された桜祭り。最終日は武田神社の例大祭にあわせ相川地区の住民が甲冑姿で騎馬行列を行っていた。その後各地で考案された歴史的観光資源に着目した都市祭礼の例にならい、1966年(S.41)行政主導による山梨県や甲府市のPRを目的の都市祭礼として、武田信玄は観光資源として甦ることになった。
 イベントの目玉、二十四将を模した時代行列「甲州軍団出陣」は、信玄役への有名俳優の起用や女性中心の時代行列を行い華やかさを加え、出陣兵士を鼓舞する陣屋を設置するなど、さまざまな試みを行いつつ、その規模では日本最大級になった。
 自らは城を造らず、「人は石垣人は城」と、人心を斟酌することに長けていた甲斐の国が誇る傑物武田信玄。時を経て、こんなカタチで甦ろうとは想像だにしなかっただろう。

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