旧町名を復活させたい ~魚町~
前号ではお休みをいただいた「旧町名を復活させたい!」。今月は復活です。今回は魚町について調べていきたいと思います。
現在の中央2〜5丁目に跨がり、旧富士川小学校の南側交差点から金山神社東交差点までの南北の道が旧魚町となります。
町名の由来は武田の時代に肴(さかな)の市を立てたところであったことに由来するそう。もしこれが本当なのであれば、500年以上も歴史のある町名ということになりますが、定かではないようです。ただ、ちょうど旧甲州街道と中道往還が交わる辺り。距離も短く、富士山麓の涼しい気候も手伝って沼津や清水からの海産物輸送路の中心であった中道往還の終着地が甲府のまちの肴の市であってもおかしくはないと思います。事実江戸時代の後期には多くの肴問屋や魚商が居住していたことは間違いなく、由緒のある町名に違いありません。
徳川の時代は問屋仲買を選定し、魚町二丁目を魚類売買の場所として指定しており、他の場所での売買を禁止していました。当時は、魚類が魚荷問屋に着くと、肴役人と仲買人で値段を決め、それを小売商が天秤棒を担いで売り歩いたということです。天秤棒を担いだ小売商さんはよく時代劇とかで見かけますね。
江戸時代は魚荷問屋が卸売市場の役割を担っていたことになりますが、明治25年、魚町二丁目に甲府魚市場が開設されました。
明治36年に中央線が開通すると東京や房総方面から新鮮な魚が入るようになり、早朝の取引時になると魚町は人で溢れかえったそうです。このため、個々での営業を改めて市場を建設するようにと県当局から要請があり、大正2年に通りの西側にある民家を買い上げて市場を建設しました。
上の写真はその市場の跡地にあるマンションです。道を挟んで東側には、山梨が誇る名物「煮貝(煮あわび)」で有名な「みな与」があります。みな与は1584(天正12)年の創業から現在までの400余年、魚町で商売を続ける老舗のひとつです。
よく他県の方に「なんで海が無い山梨の名物が煮貝なの?」と聞かれますが、皆さんはご存知ですか?調べてみたところ、みな与の6代目が、それまで駿河から塩漬けにして運んでいた鮑を何とか生の風味で食べられるようにと、産地である伊豆の綱元の方々と加工研究をし、煮貝の製法を完成させたとのこと。
うちの家族は煮貝が大好きで、親戚が集まる時には必ず食卓に並びました。子供の頃から当たり前のように食べていた煮貝が、江戸時代から続く伝統の味とは驚きですね。山梨が誇る老舗と名物ですから、これからも応援していきたいですね。
さて、甲府空襲では魚町一丁目だけを残して全てが焼失しましたが、戦後はいち早く復旧し、多くの人で賑わう魚町を復活させました。
当時の人たちのバイタリティーはやはり凄いですね。ただ、あまりの賑わいに早朝時は道路交通網が完全に麻痺するような状態に陥ったそうで、昭和48年に国母の甲府中央卸売市場(現在は甲府市地方卸売市場)を開設し、魚町にあったお店はほとんどがそちらへ移ったということです。
上の写真は現在の魚町通りです。今でも通りと自治会の名称として魚町の名残は見られますが、面影は失われてしまいました。
さすがに市場をこちらに戻すことは無理だと思いますが、海の幸を楽しめるお店がこの通りに多く出店してくれたら、現代の魚町として盛り上がるかもしれませんね。
文:川上明彦
甲府地方卸売市場「甲府さかなっぱ市」
青果物の地産地消・魚食普及、食育などのPR、市場活性化などを目的に平成24年からスタートしました「甲府さかなっぱ市」。毎年3、6、9月の第4土曜日に開催を予定しています。
第11回目となる次回は平成27年6月27日(土)の開催予定。前回は過去最高の約6,800人が来場したということです。魚町から甲府市地方卸売市場へ移り変わっても、その賑わいは変わらないのですね。
第11回甲府さかなっぱ市
【場所】 甲府市地方卸売市場 山梨県甲府市国母6-5-1 TEL.055-228-1745
【日時】 2015年6月27日(土)
午前10時~正午(雨天決行)
【内容】 青果・水産の各仲卸店舗で野菜や果物、魚介類などの販売
【主催】 市場開放「甲府さかなっぱ市」実行委員会
■参考資料:甲府街史、甲府市統計書、山梨百年、一般社団法人 甲府市地方卸売市場協会HPなど