旧町名を復活させたい ~柳町(1)~
2015年も1ヶ月が過ぎようとしていますが、明けましておめでとうございます。今年もマチコレ!とMattocileci(マットシレシ)をよろしくお願いいたします。
昨年の8月からスタートした「旧町名を復活させたい!」。毎月多くのお問い合わせやおハガキをいただきとても嬉しいです。コーナーを連載するにあたり、さまざまな資料を参考にしていますが、どうやら甲府空襲によって多くが焼けてしまっているようで、特に写真が不足しております。もし、ご自宅に昭和初期〜20年代の写真がありましたら、お貸しいただけると幸いです。
さて、先月号までは佳名ということで、5回に渡り甲府城の土地を開放してつくられた町について触れてきましたが、今月号からは築城された際に整備された城下町の時代に遡りたいと思います。まず最初は最も由緒ある町のひとつ「柳町」について紐解いていきましょう。
現在の中央2丁目から4丁目にかけて、旧甲州街道沿いの南北の町並みが旧柳町となります。1600(慶長5)年以前につくられた「甲府古絵図」に甲府城下町として柳町の名が既にあるということですから、昭和39年の町名変更まで約350年に渡り親しまれてきた町名ということになりますね。町名の由来は古府中にあった柳小路(元柳町)の名を移したとのこと。ご存知の方も多いかと思いますが、武田信虎、信玄、勝頼の時代は現在の武田神社から舞鶴城までのエリアが甲斐国の中心でした。その後に甲府城が築城されたことで、中心であった府中は古府中(上府中)となり、舞鶴城周辺が新府中(下府中)と呼ばれるようになった訳です。現在の古府中町の由来は、ここからきているのですね。
旧柳町は江戸時代には甲州街道を往来する人たちの宿場町として栄え、2丁目には本陣と脇本陣があったとのこと。本陣とは大名や旗本、幕府役人など、位の高い人の宿泊所として指定された家のことで、原則として一般の者を泊めることは許されておらず、宿役人の問屋や村役人の名主などの住居が指定されました。指定されることはとても名誉なことだったといいますから、柳町には甲斐を代表する豪商がいたということになります。ちなみに脇本陣とは本陣に次ぐ格式の宿となりますが、こちらは佐渡屋幸三郎という方が勤めていたようです。現在のワシントンホテルの真向かい辺りになりますが、明治に入ると佐渡幸の看板で旅館を始め、上流階級の方達の定宿として栄えたとのこと。
写真は明治末期に佐渡幸で働いていた人たちですが、品がありますよね。そのような商業の中心であった同町は甲府城下で最大の人口を誇りました。明治に入ると土蔵造りの商店や石造りの西洋建築が増え、近代的な町並みへと変わっていき、大正から昭和にかけて甲府繁華街の中心地としてますますの発展をしていきます。
こちらの写真は昭和初期に柳町から現在の銀座通り方面を写したもので、右側に見える西洋風の建物は明治41年に開業した有信銀行です。この交差点は三日町見附と呼ばれ、市内で最も賑わった地点のひとつでした。有信銀行は昭和16年に山梨中央銀行と合併したことで同行の柳町支店となりましたが、甲府空襲によって焼失したとのこと。現在はこの斜向かいに吉字屋本店のガソリンスタンドがあり、その南側には今月号の表紙で取り上げた柳町大神宮が存在します。
2014年2月号で大神さんを取り上げた時に触れましたが、柳町大神宮は全国有数の歴史を誇る吉字屋の屋敷神です。もともとは古府中にあり、甲府城下町を整備した420年程前に現在の場所へと遷座しました。今では柳町という町名を残す数少ない存在となりましたが、旧町名を復活させたいという想いを強く後押ししてくれる存在でもあります。余談ではありますが、吉字屋の屋号は甲州金貨に刻印されていた「吉」の字からとったそうです。格好良いですね。
このように旧柳町は江戸時代から昭和初期にかけて、甲府の町の歴史をつくってきた中心的な存在でありました。触れたいことがとても多く1回では掲載しきれないので、数回に渡ってご紹介したいと思います。冒頭でもお願いしましたが、もし明治から昭和初期にかけての柳町の写真がお手元にあるようでしたら、ぜひこのコーナーでご紹介したいのでご連絡をください。
文:川上明彦
「旧町名を復活させたい」を連載するにあたり、いろいろな資料を読みあさっておりますが、凄い書籍を発見しました!その名も「甲府街史」です。
中丸眞治氏、楠裕次氏の共著で、山梨日日新聞社より平成7年に発行されており、甲府市中心部の旧町名の由来や甲府の老舗などについて、分かりやすく書かれている素晴らしい書籍です。残念ながら版元にも在庫は無く、新品を手に入れることは出来ませんが、県立図書館には置いてあるのを確認しました。
ちなみに著者のひとりである中丸氏は、山梨が誇る老舗「桔梗屋」の四代目です。桔梗屋といえば、国土交通省観光庁が後援をしている「2015年おみやげグランプリ」のフード・ドリンク部門で「桔梗信玄生プリン」がグランプリに輝いたことは記憶に新しいところです。中丸氏は同書の「はじめに」に「この街の旧町名の由来をベースに、明治から平成に至る甲府の人々の生活の変化を、この地に生まれあるいは育った者であれば誰でも知っている街角の特徴的な建物や、有名な商店の思い出などとともに整理し、後世に伝えようと試みた」と記しています。
私も甲府街史に記されている当時の風景を、微力ながら後世に伝えていくお手伝いをするため、このコーナーをしっかり継続させていきたいと思います。