第15回 子どもキャンプを広めたい

 「大人が子どもたちから奪った『遊び』を返してあげたい。子どもの遊びは学びなのだから」。長年、ボランティア活動に携わってきた笠井さんの現在の心境だ。

 「アフリカなど発展途上国の子どもたちは、飢えや病気に苦しみ、教育など問題外。それに比べて日本の子どもは幸せと思ってしまう。しかし、いじめ、不登校、自殺などのニュースを耳にすると、子どもを取り巻く環境が病んでいることが分かり、年々重度化している。子どもたちからの反乱であり、悲鳴だと思う。心の貧しさに起因しているのではないか」と、心を痛める笠井さんは、自然の中に放り出して遊びの中から美しさ、厳しさを体で覚えて欲しいと願っている。


 笠井さんとボランティアの出会いは、昭和37年、県庁に入庁した年「西島どんぐりVYS」に入会したことから。VYSは愛媛県で誕生したが、西島(現身延町)のそれは全国で3番目という先駆け的存在だった。西島で育った笠井さんは、小学生の頃から地域のお兄さん、お姉さんたちの活動に憧れていたこともあって、先輩に誘われて当然のことのように入会。県庁に通う身延線では、顔見知りになった女子大生や高校生と「社会奉仕とは何か」を語り合い、子どもクラブを指導したり、自ら作った人形劇を演じる毎日になった。「県庁の上司からは、自分の生活が安定しないのになぜ社会奉仕にのめり込むのかと不思議がられました」というほどだったという。

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 一度決めたらとことんやる。「継続は力なり」をモットーにする笠井さんは、子どもの集団指導を専門的に研究する「山梨子どもグループワーク研究会にも参加して、青少年団体の指導、助言や子どもの指導手引書の編集に打ち込んだ。「ボランティアは奉仕ではなく、今自分にできることをすぐやること。

いつでもどこでも日常的にすることだと思う。だいじなのは心意気」と、肩肘張らない自然体が地道な活動を支えているようだ。

 昨年の夏休み、地元・和田町子どもクラブのキャンプを指導した。千代田湖畔の堂の山キャンプ場まで約7キロを徒歩で向かった。当初母親たちは「うちの子はとてもそんなに歩けない」と、心配していたが、いざとなったら2時間半かけて全員が歩き通した。もちろんテントの設営、薪の準備、夕食の支度など子どもたちが主体的に取り組んだ。やればできる。「今は、子どもに対して、あらゆる面で大人が関わりすぎている」という発見もした。
  県立文学館副館長を終え、県社会福祉協議会に3年。昨年フリーになったのを機に、グループワーク研究会の会長に就任した。親しい人に出した挨拶状には「子どもの健全育成のために、キャンプを県下に広げていくのが私の夢であります」と書いた。自らの一男一女には、特別な家族旅行ではなく、ボランティア活動に連れて歩いた。その娘さんに結婚式で、「私は日本中の子どもの中で一番多くの体験をさせてもらいました。お父さんありがとう」と、挨拶された時は、いつになく目を潤ませた。