その11 終末期医療について(3)~終の棲家

 「終の棲家」という言葉があります。広辞苑によりますと最後にすむ所と書かれています。人生の終焉を過ごす場所という意味で使われます。今の病院(ホスピスを含め)の現状が「終の棲家」といえるでしょうか?答えはノーです。

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 私どもの病院では、高齢者の人が多く入院しています。そして一ヶ月のうちに5~6人、年間80人前後の方が病院で最期を迎えています。脳梗塞後で四肢麻痺となり寝たきりになった人、神経難病で人工呼吸器が装着されている人、がんの末期の人などでその大部分の数を占めています。このような患者さんとは、十分なコミュニケーションがとれませんので、残念なことに、患者さんの気持ちを聞き出すことは難しいです。しかし、家族の方々が来院されるのをみていますと、様々な人間模様が窺えます。毎日来る人、曜日を決めて来る人、休日に来る人、全く来ない人などいろいろですが、患者さんの過ごしてきた人生が何となくわかる気がします。
 先日、ターミナルケアで活躍しているシスターの講演を聴きに行き、「最期を迎える人の一番辛い気持ちは何なのか?」と、質問したところ、「それは家族との別れが一番辛いのです」と答えられました。がん患者さんであれ、脳梗塞後の肺炎の患者さんであれ、去り行く人も、残される家族も、同じ思いではないでしょうか?それだけに、限られた残りの時間を大切に思い、後で悔いが残らないように過ごしてほしいのです。
 それには治療を優先する医療よりも、家族と共に過ごせる環境と医療側の無理のない必要最低限の医療が提供できる病院があれば、病院であっても「終の棲家」に成りうるかもしれません。人の命を救うのが医療ですが、人の最期を看取るのも大切な医療だと思っています。私はそんな考え方の病院を夢みています。この連載も今回で最終回となります。最後に正岡子規の言葉で終わらせていただきます。「悟りとは、如何なる場合にも平気で死ぬることかと思っていたのは間違いで、悟りとは、如何なる場合にも平気で生きていることである」  
 長い間ご愛読ありがとうございました。

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心も体もリラックスするのが大事。太極拳は有効な手段の一つ。