2021年3月号 甲斐善光寺
甲斐善光寺は永禄元年(1558)、川中島合戦の戦火が信州長野善光寺に及ぶのを恐れた武田信玄公により、本尊をはじめ宝物類、僧侶までを避難させたことに始まる。寛政八年(1796)に再建された現在の金堂は、善光寺建築に特有の撞木造で、総高27メートル、総奥行49メートルという日本有数の木造建築物。重層建築の山門とともに国の重要文化財になっている。
武田氏滅亡後、秘仏である本尊は約40年の流転を経て信濃へ還り、甲府に残った前立仏を甲斐善光寺の本尊と定めたという。銘のある善光寺式阿弥陀三尊像の中では最古で、善光寺仏としては例外的な大きさの等身像。数え年で7年に一度の御開帳は、信州善光寺、その他数ヶ寺の善光寺と同一期間行われる。