2015年8月号 神明の花火大会
平安時代に源義清が巨摩郡平塩岡(市川大門地区)に館を構え、その家臣であった甚左衛門が和紙作りの技術をこの地に伝えた。戦国時代に武田氏の軍事用狼煙の生産地となった同地区で、その技術を生かして花火を作り、甚左衛門の命日7月20日に打ち上げたことが「市川の花火」のはじまりとされる。最盛期の江戸時代には日本三大花火のひとつに称された。
やがて衰退し、いつしか行われることの無くなった市川の花火が復活したのは1989年8月7日(花火の日)。甚左衛門を祀る神明社から「神明の花火大会」と名付けた。2万発以上の花火が空を彩る山梨県最大の花火大会である。