2011年1月号 出初式
「火事と喧嘩は江戸の花」という慣用句どおり、江戸は大火事が多く火消しの働きぶりがはなばなしかった。江戸時代、頻発する火事に対応する防火・消火制度として定められた消防組織「火消」。明暦の大火の翌年、幕府直轄の武士によって組織された定火消は、御茶ノ水・麹町半蔵門外・飯田町・小石川伝通院前というすべて江戸城の北西四カ所(冬に多い北西の風による、江戸城延焼を防ぐため)設けられた。彼らは武家地・町人地の区別なく出動し、消火活動のみならず、火事場の治安維持も担当したため、鉄砲の所持と演習も許可されていたという。この定火消4組が新年に上野東照宮に集結して気勢をあげたのが出初式のはじまり。以降、火消しの役は町人へと移行し町火消という民間の火消しが登場する。
享保5年、約20町ごとを1組とし、隅田川から西を担当するいろは組47組と、東の本所・深川を担当する16組の町火消が設けられた。同時に混乱する火事場での各組の目印としてそれぞれ纏と幟が誕生し、それは火消しの象徴となっていった。火消人足による喧嘩は、「消口争い」という消火活動時の功名争いが主な原因。プライドか報酬かはさておき、そんな気風が出初式の内容に織り込まれていることは容易に想像がつく。実に日本語的ではあるが、儀式をセレモニーと表現した時点で、歴史や文化の香りが霧散してしまうように感じるのはのは私だけだろうか。