花の寺で春を感じる

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春は1年の始まりです。
先月号でも触れた通り、立春とは旧暦のお正月。生命が大きく躍動し始める春が1年の始まりなのは、農耕民族の日本人にとって当たり前の感覚なのでしょう。
では、現代に生きる我々が春の息吹を感じるのはどんな時でしょうか?
私にとって春と言えば花。しかも梅、桃、桜の美しさには、目にした瞬間に自分が日本人なのだと思い知らされます。
今回はそんな日本人にとってたまらない風景を味わえる「花の寺」をご紹介します。


その寺院は甲州市塩山あり、境内には梅、椿、桜、花桃、山吹、ぼたん、れんぎょう、あじさい、むくげ、萩、金木犀など四季折々の花達が点在し、参拝者を迎えてくれます。花の寺の名は高橋山放光寺。
私が最初に立ち寄ったのは、数年前、武田信玄の菩提寺で有名な恵林寺に初詣へ行った際に偶然前を通り、その佇まいに惹かれてのことでした。

放光寺は1184(元暦元)年に、甲斐源氏の祖と言われている新羅三郎義光の孫、安田義定によって創立。開山は賀賢上人です。
安田義定とは源平の戦いで平氏が完敗した一ノ谷の戦いで、平氏の大将である平経正や帥盛、教経を討ち取ったことで知られており、源氏の復興で大きな役割を果たした名将とのこと。
最後は源頼朝への反逆の疑いで梟首とされていますが、安田氏が力を持ちすぎたことに不安を抱いた頼朝が排斥したようです。
同時期に甲斐源氏の有力武将は頼朝によって次々と排斥されていますから、逆に甲斐源氏は名将が多かったということなのでしょう。ちなみに義定はこの放光寺で自害しました。
その後は武田氏の護持をうけ、特に信玄公は祈願所と定め寺領を寄進しています。
1582(天正10)年に織田信長により兵火を被りましたが、徳川氏の保護をうけ再建されました。

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国の重要文化材も豊富で、本尊の大日如来像や不動明王立像、仁王門の金剛力士立像や愛染明王などがあります。
特に愛染明王は日本最古の木造仏像と言われており、頭には獅子の冠、炎のように燃え上がった髪、左右三本ずつの腕、真っ直ぐ天に向けられた弓の矢先と特徴的な姿で独特の空気感をかもし出します。

縁結びの御利益があるということで、愛染堂には五円玉がたくさん結ばれていました。

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また、放光寺は甲州東郡七福神めぐりの大黒天が祀られています。
江戸時代にはお正月行事として行われた七福神めぐりですが、現在では一年を通じて参拝する方々が多いようです。

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参拝に伺った2月上旬には境内の梅が芽吹き始めており、春に向かって一歩一歩近づいていることが感じられました。
山梨県という自然が豊富な場所で暮らす私たちは、都会の人たちよりも四季を感じやすい環境にいると言っていいでしょう。実はそれってとても贅沢なことですよね。

甲州の鎌倉といわれている塩山は文化財や武田氏の史跡などが多い地域です。
今年は放光寺へ足を延ばし、春を感じながら歴史散策をするのもオススメです。


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【高橋山放光寺】山梨県甲州市塩山藤木2438
拝観料:300円(9:00〜16:30) ※抹茶つき・珈琲つき拝観各600円
精進料理:予約制 電話:0553-32-3340 HP http://www.hokoji.org/


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放光寺の近くにある隼地区では大わらじの奉納という珍しい行事があります。
なぜこのような変わった行事があるのでしょう?実はこんな言い伝えが残っています。

昔、この地で疫病がはやったとき、通りかかった旅僧が疫病平癒の祈祷をし、名前も告げずに去っていきました。その後、疫病は完全におさまり、人々は旅僧にお礼をしようと探しましたが、なかなか見つかりません。諦めかけたところ、摩利支天の祠の傍らに片方のわらじが落ちているのを見つけ、人々はこれこそ旅僧の使ったものであると信じて近くの摩利支天尊に祀りました。
いつからこんな大きなわらじを作るようになったのかは定かではありませんが、春の社日の日に摩利支天尊にお参りし、午前8時位から大わらじづくりの作業を開始するとのこと。
出来上がった大わらじは摩利支天尊の横の桜の木に奉納し、最後に古い大わらじを燃やして一年間の無病息災を感謝し、行事は終了となります。
江戸時代初期から続いているこの行事は、今年も3月18日の社日の日に行われるようです。

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■参考資料:放光寺HP、ウィキペディア