桃太郎伝説を身近に感じよう!

めっきり寒くなりましたが、体調などお変わりありませんか(;´▽`A“

食欲の秋!自分は見るもの全てが「うまそう」で、このコーナーの趣旨に反し、「メタボ街道」まっしぐらでございます。
でも、大丈夫なのです。このコーナーがあるのです。歩くのです。
カロリーを消費するのです。太らないのです\(^▽^)/
そんな安心感をより多く得るために、今回もウォーキングながら、山登り(ハイキング程度)のコースを選んでみました ( `.∀´)イヒッ
すると、そこには意外な伝説が…。

今回は、古の伝説「大月桃太郎伝説」と日本三奇橋「猿橋」を歩くコースです。 大月駅から岩殿山山頂を経由し、猿橋駅を目指します。

大月駅を出て、大月市立図書館方面(東方面)へ歩き、光照寺を横目に左折すると「三嶋神社」があります。

この神社には、大月市の市名の由来がわかる石碑がございます。

「大槻」→「大月」と変化したようですよ。どうして変化したかは…。
実際に行って碑を見てみてください(*^m^*)

さぁ、神社をあとに国道139号線を小菅方面へ歩きます。

目の前に大きくそびえる岩殿山!
途中の公園で、カエル発見!

これで水分補給したら、脚力アップ間違いなしです。

桂川を渡り、いよいよ「岩殿城跡入口」へ!

しばらく上ると「丸山公園」へ到着。

あー!ウサチャンや、トラさんの遊具が!

久振りに童心に返る、「永井学オス36歳」なのでした(今日のわんこ風)。
誰ですか!?やらされてる感が出てる、なんて言うのは…。(-_-ゞ

さあ岩殿山山頂を目指さないと。

わー!こんな看板が! Σ( ̄ロ ̄lll)!
気をつけよう!

さて遊歩道とは名ばかりの急な坂道を進んでいくと…。


お城の関所となっている場所に出て丸山公園から30分、ついに岩殿山頂上に到着!

眼下に見える、素晴らしい景色!

あいにく今回は富士山は見られませんでしたが、それでも山間の町並みを、じっくり眺めることができました。
そんな頂上で一つの看板を見つけました。

この岩殿山の標高。634メートルなのです。
ピンときたって!?
そうです。現在建設中の「東京スカイツリー」が完成した高さが634メートルなのです。
「ム・サ・シ」と覚えてくださいね~ (o^∇^o)ノ
つまり、ここから見える景色は、東京スカイツリーのてっぺんから眺めているのと同じ高さというわけなのです。
完成しても、てっぺんからは景色を眺められませんからね!こちらの方がお得です(^▽^)/

歴史好きな方には有名ですが、この頂上には、武田24将の一人 小山田信茂が築いた「岩殿城跡」がございます。
本丸跡や、馬場跡・倉屋敷跡など点在しております。小山田氏が裏切らず、このお城に武田勝頼が入城することができたら、歴史は変わっていたかもなぁ~なんてことを考えてしまいました。
武田家の末路については、川上先輩が歩いた「蕎麦切り発祥の地を歩こう」(’10年2月号)の回をご覧下さい。

さぁ~下りです。登りとは打って変わっての本格的な登山道にビックリ!

おっと!「七社権現洞窟」という看板を発見!見に行ってみよう!

洞窟の中に、お社が!幻想的です。水の音と、鳥の声と、木の揺れる音だけしか聞こえません。
癒されました!

遊歩道に戻り下り広い道に出て、すぐ傍にある「円通寺跡」を通り過ぎると、「石動」という地名の場所に出ます。
そこにあるのが、「鬼の杖」です。

なぜ、鬼の杖なんて石があるのか?なぜ、ここが「石動」という地名なのかは、それは後ほど!

葛野川を渡り、「小和田猿橋線」へでます。
あとは、看板どおり進めば、日本三奇橋「猿橋」に到着です。

なんで、日本三奇橋なのかは見ていただければわかりますよね!国の名勝に指定されています。

猿橋のたもとにある公衆トイレ前で

「見ざる、言わざる、聞かざる」のトーテムポールを発見!素敵です!このセンス ヾ(´ε`*)ゝ

さて、猿橋公園を抜け、郷土資料館を通り過ぎればゴールの「猿橋駅」です。

今回のウォーキング。見方によっては武田の歴史も探訪できます。
が!私は大月の桃太郎伝説をなぞって歩いてみました。岡山県だけのものじゃなかったんですね(‐^▽^‐)
岩殿山も、普段運動不足の方にとっては、なかなか登りがいのある場所ですぞ~。

スカイツリーと同じ高さの景色を見に、そして、大月の歴史を感じに、ぜひ!歩いてみてくださいねヾ(@^▽^@)ノ

(文・永井 学)

所要時間:3時間52分 歩数:15729歩

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「鬼の杖」とからめ、大月の桃太郎伝説のお話!

昔々、岩殿山の東にある百蔵山(ももくらやま)は、たくさんの桃が取れたので桃倉山と呼ばれていました。
ある日この山から転がったすごく大きな桃が桂川を流れて、川下で洗濯をしていたおばあさんに拾われました。
その桃から元気な男の子が生まれ、桃太郎と名付けられました。
たくましく成長した桃太郎は、当時岩殿山に住み、イタズラなど悪いことをして里の人々を困らせていた鬼を退治に出かけました。
途中犬目(上野原市)で犬、鳥沢で雉子、猿橋で猿を家来にしました。
桃太郎が岩殿山に鬼退治にきたことを知った鬼は、怒って左手に持っていた石の杖を投げつけました。
その杖は地面に突き刺さり、大きな地震を起こしました。
これが石動(市内賑岡町強瀬)という地名の由来で、「鬼の杖」といわれる石も残っています。
そして桃太郎が攻めると、今度は右手に持っていた杖を投げつけました。
これが笹子にある鬼の立石と呼ばれる石です。
最後に鬼が岩殿山の東側にある大洞岩(七社権現洞窟?)に足をかけたところを桃太郎に退治されました。
今でも大洞岩周辺では赤い土が出てくるそうです。

以上、「やまなし日和」小山田氏 著 桃太郎伝説の地 大月名物「おつけだんご」より