旧町名を復活させたい 〜愛宕町〜


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 朝晩が冷え込むようになってきたと思ったら、日中も随分と寒くなってきました。先日、郡内の方とお話しをした際に「夏から突然冬になったようだ」と仰っていましが、私は秋という季節が大好きなので、いきなり冬になるのはご勘弁いただきたいです。(笑)
秋が好きな理由は、山々が美しく色づくからです。今年も荒川ダムの先にある板敷渓谷の赤いトンネルをくぐりに行こうと楽しみにしています。

 まず最初に先月取り上げさせていただいた旧穴切町の記事について、お詫びと訂正がございます。「穴切遊郭の大門と思われる2つの柱」と写真でご紹介しましたが、古くから穴切地区にお住まいの方のご指摘から大門の柱ではないことが分かりました。本物の大門は随分前に撤去され、今は無くなっているそうです。また、写真の柱の場所もかつての大門があった場所ではなく、数十メートル東側にあったそうです。間違った情報を掲載してしまい、大変申し訳ありませんでした。実はこのようなご指摘に大変助かっています。私も一生懸命調べてはいるのですが、どうしても資料が少なく、困っております。やはりその町にお住まいの詳しい方にお話しを聞くのが1番で、今後もぜひお気づきのことがあればご指摘いただきたいです。


 さて、今月は愛宕町について調べていきたいと思います。愛宕町は少々町境が変わったものの、昭和の大合併の中で生き残った数少ない町名のうちのひとつで、その由来は愛宕山からきています。甲府市民にとって馴染み深い愛宕山ですが、よくよく調べてみると何度も名称が変わっていることが分かりました。甲府北部の岩窪山の支脈が南へとのび、大笠山、夢見山と続き、その最南端が愛宕山となって甲府盆地へと繋がっていきますが、当山はもともと甲斐奈山と呼ばれ、甲斐奈神社が鎮座した本宮の地であったようです。

 しかし、武田信虎公の時代に当山が要害の地であることから、甲斐奈神社は他の場所へと移され、信玄公の時代に鮎沢村(現在の南アルプス市鮎沢)にあった長禅寺を当山の南麓に移したことで、長禅寺山と呼ばれるようになりました。その後、武田氏滅亡後の天正12(1584)年ごろ、愛宕神社が甲府城の鬼門守護神として西面山腹に鎮座したことで、愛宕山と呼ばれるようになったそうです。気になるのが大正10年の地図に長禅寺山の文字が見えることです。この山の正式名称は愛宕山だと思うのですが・・・ご存知の方がいたら教えてください。

 愛宕神社の創祀年代は不明ですが、武田信虎公が躑躅ヶ崎館を築城する際に、相模国愛宕山の地蔵菩薩を館の北東にあたる日影聖道小路に勧請し、鬼門守護としたのがはじまりと伝えられています。

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 日影聖道小路とは、おそらく現在の竜華池辺りではないでしょうか?現在の場所へと移されたのは甲府城の鬼門守護の社とするためで、躑躅ヶ崎館時代と同じくお城の北東に位置します。驚いたのが、甲府城の天守閣と同じ標高に建てられているということ。確かに境内から見える甲府城の天守閣部分は同じぐらいの高さに見えます。

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※愛宕神社の境内から甲府城を撮影

 そんな由緒ある愛宕町に、明治から昭和初期にかけて、現在の長禅寺西側辺りに精乳舎という牧場がありました。写真を見ると遠くに甲府城が見えます。

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 今は住宅地となっている場所に、こんな牧歌的な風景が広がっていたとは驚きです。

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 こちらは牛さんたちがのんびりしている様子ですが、奥には長禅寺にある若尾逸平のお墓が見えますね。この精乳舎の北側にあたる山梨英和高等学校の辺りには、若尾公園という小さな公園がありました。明治40年に甲州財閥のひとりである若尾逸平の米寿を記念し、若尾家が所有していた山林に若尾逸平の銅像が建てられました。大正10年には銅像が建てられていた長禅寺裏山から甲府市水道配水場にかけて、若尾家により若尾公園が建設され、一般へと公開。市民に愛されていましたが、戦後に廃園となりました。
 山梨英和学院は私立英和女学校として、明治22年に太田町で開校。明治24年に百石町へと移転し、明治39年に現在の愛宕町へと移ります。その後、甲府空襲によって校舎を焼失しますが、戦後は新制山梨栄和中学校・高等学校として再開。昭和30年に廃園となっていた若尾公園を買収し、昭和33年に名称を学校法人山梨英和学院へと変更。昭和41年には山梨英和短期大学が開学します。


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 甲府市上下水道局中区配水場は大正元年に竣工した配水場で、現在も現役で稼働しています。
 正門をはじめとし、コンクリートで出来た建物は創設当時のまま残っており、明治期の土木遺産としても価値があるのではないでしょうか?桜の名所としても知られており、普段は関係者以外の立ち入りは禁止されていますが、4月上旬の開花時期に合わせ一般開放されています。ちなみにマチコレ!の表紙のスケッチ2008年4月号でも採用されており、私のお気に入りスポットでもあります。

 甲府五山の筆頭にあげられる名刹「長禅寺」の存在によってか、愛宕町にはさまざまな時代を感じるスポットが多くみられ、ウォーキングにも適したエリアだと感じます。 気候も良くなってきたので、甲府市がオススメしている「甲斐府中の古道を歩く」を参考に歩いてみると新たな発見があるかもしれません。

文:川上明彦


甲府市の昭和

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参考資料:甲府街史、甲府市統計書、山梨百年、甲府市HP、山梨英和学院HP

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