旧町名を復活させたい ~柳町(2)~

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先日、南部町に住んでいる知人に「桜が2〜3咲いていた」と聞きました。
県内で1番最初に開花する桜として有名な内船駅の桜です。
春の足音が聞こえると心が躍るのは動物としてのサガでしょうか?
このまま大雪に見舞われることなく春を迎えたいですね!


 さて、今月も引き続き、柳町について調べていきたいと思います。
 写真は前月でもご紹介した三日町見附を南側から撮影したもので、左側に見える大きな西洋建築が明治41年に開業した有信銀行です。明治20年代には県内に72の銀行が存在したようで、豪商の多かった柳町は銀行の町でもありましたが、昭和恐慌の影響でほとんどが営業停止に追い込まれました。
 富士勧業、甲陽、小淵、石和、盛業、山梨殖産の6行を合併し昭和恐慌を乗り越えた有信銀行も、政府の一県一行という政策の影響で第十銀行と合併し、山梨中央銀行の柳町支店となりました。残念ながら甲府空襲により建物は全焼しましたが、この美しい西洋建築を懐かしむ人は多いのではないでしょうか。

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▲上の写真と同じ位置から撮影した現在の街並み

 有信銀行の北側は清酒「君が代」で知られる十一屋。醤油やお酒の醸造業を営んでいましたが、明治7年に日本で初めての国産ビールを「三つ鱗」というブランドで売り出したというから驚きです。しかも、京都博覧会に出品して賞牌を受賞するほどの評価を得たとのことですから、味も良かったのでしょうね。残念ながら明治34年に製造を止めてしまいましたが、初の国産ビールが甲州人によってつくられたことは誇りに思えます。
 十一屋は関東大震災直後の大正13年に柳町の店を桜町に面して営業を移し、酒造場を横沢町へと移します。この移転の理由は「町の発展を考えて」ということらしく、その跡地が仲見世となりました。
 当初の仲見世は見世物小屋を中心に洋品や雑貨、飲食店などが軒を連ねましたが、中央館という映画館(活動写真館)が出来たことでたちまち甲府繁華街の中心地になりました。

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 こちらはその中央館で、看板に「料金十銭」と見えます。当時はコーヒー1杯が10銭ぐらい、大卒の初任給が70円ぐらいとのことですから、映画代としては安く感じますね。昭和10年代中盤の地図を見ると、仲見世にはウカイヤ洋服店、三国洋服店、スギヤ洋服店など、衣料品店が目立ちます。

 昭和初期につくられたであろう「甲府夜曲」という歌がありますが、その2番の歌詞に
   「甲府銀ぶら 三日町見附よ ネオンサインは 恋の色
      シネマ帰りの あの子の襟に 更けてキッスする おぼろ月」
とあります。流行に敏感だった若者にとって、仲見世は最先端のスポットだったのかもしれません。
 そんなモダンボーイ、モダンガールに愛されたであろう仲見世も甲府空襲で焼失し、昭和29年に甲府武蔵野館という映画館が開館。更にその後は甲府ワシントンプラザホテルへと変わっていきました。
 すっかり様子が変わった三日町見附ですが、仲見世の名は健在で、銀座通りや桜通り側にある看板がもてなしてくれます。

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 現在は衣料品店は無く飲食店街になっていますが、美味しいおでん屋さんなどもあり、私も何度か伺ったことがあります。皆さんも今夜あたり仲見世へくり出して、昭和の甲府を懐かしみながら、これからの街づくりについて話をしてみてはどうでしょう?

文:川上明彦