路線バスでゆく かいゆうほ〜ボロ電の面影探訪編(3)〜

写真提供:一般財団法人 東武博物館 名誉館長 花上嘉成氏

 ゴールデンウィークが目前となり、何かと心楽しい日々ですが、いかがお過ごしでしょうか?
 4月は夏日があったり、突然涼しくなったりと、体調を維持するのが難しい気候だった反面、地域によっては、桜と桃が同時に観られたかと思います。日本の春は本当に美しい。この景色を、もっと世界の人たちに知って貰いたいですね。特に山梨県特有の桃畑。ピンクの絨毯は大きな観光資源だと思います。胸を張ってPRしていきたいと思います。

 さて、これからの高齢社会で、大変重要な役割を担うであろう路線バス。もっと路線バスの事を知り、利用していただき、潤いのある生活を送っていただきたいという思いを持ち、このコーナーを連載しております。今月も引き続き、ボロ電の面影を辿りながら「かいゆうほ」です。\(^O^)/


 甲斐市に入って最初の停留所、榎局を通過して榎バス停へ。榎バス停は榎農協北交差点を過ぎて直ぐですが、ボロ電の榎駅はもう少し南側で、今でも「ここに駅があったのだな」という名残が見られます。

 榎駅は大きな駅で、ホームは相対式2面2線の交換駅でした。駅前の広場には大きな桜の木が植えてあり、県道5号甲府櫛形線(現在のバス通り)まで繋がっていました。
 この辺りは廃軌道とバス通りがとても近く、駅にもアクセスしやすかったはず。どれぐらい近いかご覧いただきたいと思い、写真で捕らえようとベストポイントを探し回ってみました。甲府信用金庫前となるこちらの写真で分かるでしょうか?

 以前にマチコレ!のみんなのアンケート広場で、『山梨にいる人ならではの「あ~!それ、わかるわ~」』を募集した際、国母にお住まいの女性から「生まれた時から山梨で暮らしていますが、いまだに廃軌道とバス通りの区別ができません」という投稿がありました。これだけ近い距離に、こんなにも長く道路が並行していたら、確かに「どっちだっけ?」となりますよね。

 路線バスは篠原仲新居、下八幡を過ぎ、玉幡四ツ角バス停へ。ボロ電の玉幡駅は、廃軌道の玉幡交差点を玉幡西交差点へと進み、すぐ右手側にありました。こちらも道路が突然広くなっており、榎駅と同様に名残を感じることができます。

 玉幡交差点を北上すると、竜王駅に達するという立地から、利用客が多かったように思えますが、1面1線の「棒線駅」でした。昭和34年、台風7号の被害により、この玉幡駅から上石田駅までの架線柱が全て倒されてしまい、ボロ電が廃線へと追い込まれる大きなきっかけになったようです。

 農林高校バス停へ。ボロ電の農林高校前駅は、アルプス通りの開通に伴う工事により当時の面影は全く見当たりませんが、廃軌道とアルプス通りが交わる県立農林高校の北側にありました。

 どうやらこの駅、開業当時は仮駅として存在していたようです。現在農林高校となっている場所は、昭和初期に玉幡競馬場があり、年2回開催されたレースの際に「玉幡仮停留所」という名称で利用されました。その後、仮駅は正式な駅へと格上げされましたが、競馬場が玉幡飛行場となった事から「飛行場前」と改称しました。
 しかし、軍の施設が明らかになる駅名は芳しくないという事になり「釜無川駅」へと改称。最終的には、昭和21年、農林高校が甲府空襲で校舎を焼失し、旧飛行学校へ移転したことで「農林高校前駅」となりました。

 路線バスは、開国橋東詰交差点からアルプス通りへと入り、開国橋へ。甲斐市と南アルプス市を繋ぐこの長い橋は、1991(平成3)年に竣工したものなので、ボロ電の面影を見る事は出来ません。写真はひと世代前の橋で、昭和8年に架設しました。

写真提供:一般財団法人 東武博物館 名誉館長 花上嘉成氏

 延長496mと、造られた当時は県内一の長さを誇った開国橋。西郡地方に産業・文化を開くという思いが込められ、命名されたようです。
 ボロ電の軌道は、開国橋に並行して架せられており、昭和43年から現在の橋の工事が始まるまで、開国橋の歩道として利用されたので、覚えている方も多いのではないでしょうか?

 開国橋を渡りきり、路線バスは南アルプス市へと入っていきます。(つづく)

文:川上明彦
取材協力:ボロ電ロマン、山梨交通鉄道線回想録、角川日本地名大辞典