旧町名を復活させたい 〜中道往還 後編〜


 ここのところ、日中と夜間の寒暖差が激しく感じます。季節の変わり目は体調を崩しやすいので、いつも以上に注意が必要ですね。


 さて、今月も中道往還を取り上げます。国道358号線の右左口交差点を西へ右折し、暫く進んでいくと下宿の交差点へと到着です。下宿の交差点付近には、厄除け地蔵が鎮座しています。


 自分の体の痛い部分と、地蔵の体の同じ部分を叩くと良くなると言われており、この時に叩く音からかんかん地蔵とも呼ばれています。元禄13(1700)年に建立されたということで、県内でも最古級の厄除け地蔵とのこと。町の人たちが大切にしてきたことが分かります。

 交差点を左折し、坂道を上っていくと、左手に御左口神社が見えてきます。


 この神社は、綏靖天皇(すいぜいてんのう)の時代(紀元前6世紀頃)、珊瑚珠姫がこの地に参り、養蚕や農業などを教えたと言われていることから、姫を農業の神(作神)として祀ったと伝えられています。また、村名を右左口と書いてウバグチと読むのも、この御左口神社を「おさぐちさん」と呼んでいたことから、それが訛って地名になったと言われています。ちなみに綏靖天皇とは、初代の神武天皇の皇子で2代目の天皇になります。
 更に坂道を上っていくと、下宿の道祖神へと到着。ここから見上げる通りの景色は、宿場町として栄えた右左口宿の面影を感じさせます。


 右左口宿は中道往還の宿場町のひとつであり、織田信長が往来するため徳川家康が整備したと言われています。天正10(1582)年、武田氏滅亡後に徳川家康が中道往還を通り、甲斐に入国しました。
 家康が右左口宿に着陣した際に、右左口の村民から手厚いもてなしを受けたことから、右左口の村民に関所の通行を許し、海産物の売買を免税する朱印状を発行し、商業活動を許可する特権を与えたとのこと。当時の右左口宿は、物流の拠点として大いに栄えていたのでしょうね。

 中宿へ入っていくと、またまた道祖神があり、その手前には米山館(旅籠跡)の看板を発見。


 右左口にはこのような看板が数多く設置してあり、歴史を後世に伝えようという気持ちがとても伝わってきます。おそらく右左口に住む若者は、右左口宿の歴史を当たり前のように知っているのではないでしょうか?
 甲府市中心市街地も、歴史を後世に伝えるため、景観を損ねない範囲で看板を設置した方が良いかもしれません。

 更に進み上宿へと入ると、看板に「WADEJUKU」と記されていることに気づきました。


 私は「かみじゅく」とばかり思っていたので、辞書を引いてみたところ、「じょうしゅく」や「じょうやど」とは出てきますが、「わでじゅく」との読みは見当たりません。方言でしょうか?
 わでじゅくの看板の直ぐ近くに、六地蔵附厄除け地蔵と宝蔵倉を発見。


 こちらの厄除け地蔵は下宿のカンカン地蔵と向かい合って鎮座し、ともに右左口宿を守っていると伝えられています。周囲の六地蔵は、現在4体のみとなっていますが、元禄9(1696)年の銘があるとのこと。宝蔵倉には「徳川家康朱印状」や「右左口人形浄瑠璃」の人形、衣装などが400年ほど保存されていましたが、現在は県立博物館にあるそうです。
更に上っていくと、東照神君御殿場跡があります。


 天正10(1582)年に徳川家康が甲斐を治めるために入国した際、1週間滞在していた本陣跡とのこと。435年ほど前に、ここに徳川家康が居たことを想像すると、何だかワクワクしてきました。

 右左口宿の歴史に関心しながら更に進んでいくと、いきなり目の前に山道が現れます。


 今回の旅の終着点。中道往還古道の入口です。ここから中道往還は古道となり、右左口峠を抜けて上井出で若彦路と合流し、駿河の吉原へと繋がっていきます。

 さて、4回に渡ってご紹介してきた「中道往還」も今回で最終回。
 少しでも当時の方々の思いや、見てきた風景が伝わったのであれば幸いです。

文:川上明彦

山崎方代生家跡

 右左口町は「漂泊の歌人」と呼ばれた山崎方代の出身地です。
 方代は大正3年11月1日、8人兄弟の末っ子として生まれました。「方代」という名前は、長女と五女以外の子どもを亡くした両親が「生き放題、死に放題」にちなんで名付けたといわれています。
 15歳ごろから作歌を始め、山崎一輪の名で新聞や雑誌に投稿していましたが、昭和12年に母が亡くなり、翌年、父と共に姉の嫁ぎ先の横浜へと移り住みました。その後、太平洋戦争で右眼を失明し、左眼の視力もわずかに、街頭で靴の修理などをしながら各地を旅したことから「漂泊の歌人」と呼ばれるようになります。
 自らを「無用の人」と言い、世間から離れて暮らしていた方代は生涯独身であり、孤独で寂しい生活の中、ありのままの素直な表現でいくつもの歌を生み出しました。右左口では、至るところで方代の作品を見ることができます。いくつあるか、散策しながら数えてみてはいかがでしょうか?

所在地:甲府市右左口町64 敬泉寺隣

参考資料:甲府市統計書、甲府市HP、角川日本地名大辞典、Wikipedia