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新聞のススメ Archive

第19回 昭和初期、世情は騒然

甲府中学が甲子園へ
昭和に入ると5年12月、増穂の小林富士井銀行で取り付け騒ぎが起き、翌6年にかけて県内各地の銀行で続発した。6年4月には竜王村で小作争議が起き、船津村、右左口村、相興村(あいおきむら=一宮)でも続いた。同年5月1日のメーデーでは、甲府市内で参加者の一部と警官が衝突して検挙者が出るなど、世情は騒然とした。

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第20回 言論統制進み、戦争へ

 昭和の初め、世相が騒然としていた背景には、第一次世界大戦後の世界恐慌の影響をまともに受けた日本は、かつてない不況に見舞われたという状況がある。経済立て直しの政党政治も十分機能せず、テロが続発して軍部主導の政治が展開されていく。その軍部の中でも国家革新を唱える皇道派と総力戦体制をとりたい統制派が対立を深める。そんな情勢の中で二・二六事件は起きた。

 11年2月26日早朝、陸軍の皇道派に組する過激な青年将校に率いられた約1400人の将兵が首相官邸などを襲撃し、首都の中枢部を4日間占拠した。閣僚を始め警護の警察官らも大勢犠牲になった。

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第21回 新聞で読む力・考える力を養う

3月のある日、次のような便りが届いた。

「火曜日は新聞を読み、一つの記事について自分の意見を書く学習をしました。1年続けることに
より、読む力や考える力がだいぶ身につきました。子どもたちは、21日に卒業しますが、これからも
きっと新聞を自分の考えをもって読むことと思います。・・・」

 北新小学校で6年を担任した小池牧先生からで、生徒たちの学習成果のコピーも添えられていた。「わかったことを書こう」には記事の要約を、「考えたことを書こう」には自分で思ったことが書いてあった。

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第22回 戦争に突入、真実は覆われた

3月号に続いて、戦時中の新聞を取り巻く状況にもどります。
昭和12年に始まった日中戦争は拡大の一途をたどり、あらゆる面で統制が強化され、物資の欠乏も深刻だった。山日YBSグループが制作した年史によると、皮革、ゴム製品の使用禁止で履物業者が悲鳴をあげ、酒の醸造が2割減、電力も節約された。

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第23回 戦争末期に非常事態対策

昭和19年、戦局は大きく日本敗戦に傾き、20年3月東京大空襲など、米軍機の本土空襲が本格化した。この間、政府は全国の新聞社に輪転機の疎開を勧告したり、20年3月13日には閣議で「新聞非常態勢に関する暫定措置要綱」を決定した。内容は持分合同と共同印刷の実施である。

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第24回 小中学生!コンクールに参加しよう!!

今年も山梨日日新聞社と山日会は、小中学生新聞感想文コンクールを実施しています。5回目
になり、年々優れた作品が多く応募され楽しみです。
 昨年の最優秀作品を紹介します。[小学1,2年の部] 人間が自然環境を壊すのが原因で、野生物が里に下りて来ることを知り、どうぶつ語のどうぶつ新聞をつくり、「あそこの山にはしぜんや食べものがいっぱいあるから行ってみてね」などの情報をおしえてあげる。

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第25回 戦災をうけて、なお発行を継続

昭和20年3月、戦局が厳しくなったことにともなって、政府は「新聞非常態勢に関する暫定措置要綱」を定めた。内容は中央紙の地方発送をやめて、その分を各都道府県の県紙に吸収させて印刷発行を委託させる持分合同と、空襲に備えて予備の印刷所を設ける共同印刷。山梨日日新聞は毎日新聞を受け持った。

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第26回 混乱期に悲劇と快挙

 戦争が終わり、復興に立ち上がった甲府市民に人気があったのは「青空温泉」だったという。空襲の心配がなくなり、焼け跡に湧き出したままの温泉で、一日の疲れを癒すのが嬉しかったというのだから、それ以前の状況がいかに過酷を極めたのか想像できる。
 徐々に復興の足並みは早くなるが、暗い事件
も相次いだ。昭和24年7月6日、当時の国鉄(現JR)下山総裁が轢死、7月15日、東京・三鷹駅の車庫から無人電車が暴走し、駅前の交番や民家に突っ込んで6人が死亡、9月17日、福島・松川駅近くのカーブで列車が脱線転覆して2人が死亡した。謀略説が飛び交い、後に小説の題材にもなったが、新聞は事実を淡々と報道した。戦時中軍部の一方的な情報操作による紙面づくりを反省した姿にも見えた。
 一方で、ロサンゼルスで開かれた全米水泳選手権で古橋広之進が1500、800、400メートル自由形に出場、世界新で優勝した。この報道では自信をなくした日本人にこの上もない喜び、感動を与えた。「富士やまの飛び魚」と呼 ん で 、日 本 中 が 沸 き 立 っ た の は 8 月 の こ と だった。
 この時期山梨日日新聞は文化事業に、スポーツ振興にと様々な読者との結びつきを強めていく。25年、観光山梨新十景募集、模型飛行機大会、現在まで続く学童書きぞめ席書き大会の復活、県下一周駅伝の前身とも言える甲信(甲府ー岡谷間)駅伝競走、学校新聞コンクールなどを実施した。
 27年には創刊80周年を迎えて生活文化賞を制定したほか、80周年にちなみ県内の80歳以上の高齢夫婦に記念品を贈って祝った。28年、甲府市出身の太田一郎駐タイ大使の斡旋で甲府市立動物園に象が到着。戦争中にほとんど動物がいなくなった同園で、いち早く人気者となった。山梨日日新聞が名前を募集し「百合子」と命名された。
 塩山、都留、山梨、韮崎の各市が市政を施行したのを祝ってそれぞれの市章を募集、選定して贈ったのは29年のことだった。
 
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第27回 言論の自由を守るために

 山梨日日新聞は昭和38年11月6日、紙齢3万号を迎えた。当時は1面に社説があり、「"三万号"とその体質」と題して、「現存する日本最古の地方紙として、郷土はもとより全国にその輝かしい存在を誇示できるというのも、本紙が一貫して中立公正の立場において言論の抑圧と戦い、正しく親しまれる新聞づくりを至上精神としてきたことが、県民各位の知性に大きく支えられた結果と信ずる」と書き始めている。
 同時に「歴史が古いことだけを尊しとするわけではない」と断った上で新聞の歴史は、絶えず過酷な言論弾圧にあいながらの歴史であったことに触れている。そして「しかもなお"声なき声"の世論を背負って、勇敢に信ずるところを主張し続けてきた新聞の体質を知ってもらいたい」と訴えた。さらに「これからも言論の自由を守るために、あらゆる努力を尽くす」と明記、改めて力強い一歩を踏み出す意欲を示した。
 明治の創刊以来、先人たちは時に刑務所に入れられ、新聞の発行を禁止され真実を表現する手段を奪われたという弾圧を受けている。
この3万号の宣言以降も、山梨日日新聞に限らず報道に対して様々な圧力がかかっている。
言論・表現の自由を脅かす力は留まらず、常に緊張感を持った対応に迫られている。
 文化、スポーツ面での事業活動に加え、45年5月には『財団法人山梨日日新聞厚生文化事業
団』が発足した。年間を通じて社会福祉関係の寄託金を受け付け、関係先に助成を行っている。
阪神淡路大震災の折は数億円の寄付を集め、全国の新聞社の中で突出した支援活動を果たした。首都圏の大学研究者が「なぜ山梨でこのような活動ができたか」を資料に基づいて分析し、「新聞が地域の人たちに密着し、信頼されているから」と結論付けた。
 技術革新も目を見張るものがある。活字を使った印刷からコンピュータ入力。山岳地帯で取材し、写真フィルムを締め切り時間に間に合わせるために、鳩を携行してその足にフィルムをつけ、甲府の本社に飛ばしたという時代からは、想像できない通信の発達。高速輪転機による、早くきれいな紙面づくり。もっとも重要で信頼できる情報源としての新聞は、その使命を果たすために努力を続けている。
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第28回 新聞講座と各種検定で基礎力アップ~山梨学院大の取り組み(上)~

 今、若者の活字離れ、新聞離れが指摘されている。山梨学院大学現代ビジネス学部の小西順人教授は、そんな学生たちを心配する一人だ。「日本中の大学で起きていることですが、教科書を読んでも理解できないという現実があるんです」。そこで、専門教育への導入、国語力、思考力アップ、社会に対する関心を高める̶ことを目的に新聞を使った講座を開設した。「メディアとビジネス」がそれだ。新聞を読まないという比率が高い集団は学力が低いという因果関係も後押しした。
 2005年から始めた講座では各新聞社から編集、広告などの専門家を講師に呼び「新聞とは」という初歩的知識から、高度な解説までをレクチャーしてもらった。今の学生は大教室講義でも出席率は非常に高い。受ける態度も悪くはない。しかし新聞購読率は低く、講義内容をどの程度吸収したかとなると心もとない。
 そこで同時に現代用語検定と山梨日日新聞社などが実施しているニュース検定への参加を促した。もちろん事前の練習問題などで知識を深めるのが目的だが、「資格なら何でも取っておけば就職に有利だろう」と考える学生気質をくすぐる手段でもあった。
 現代用語検定は現在、高校入試のための塾で小論文指導で使ったり、生涯学習に取り組む年配者も参加している。そんな中で練習問題の文章を読んでも理解できない学生が多いことに驚かされたという。「日常的に新聞を読んでいないからだ」と、指導を続けるうち、「やはり読んでほうが成績がよい」と、学生たちも認識するようになった。「興味のない話を聞くのはイヤだ」
という学生が、耳を傾けることができるようになった。検定に取り組むことで克服しつつある。 当初現代用語検定で、4級合格者は非常に少なかった。不合格者には単位が与えられないことにし、ニュース検定でリベンジできるという二重の働きかけをし、やる気を持続させた。学内ですでに、簿記、検、秘書検定などに対して顕彰している「キャリアアップ サポート賞」の対象科目にもニュース検定を組み込んでもらった。
 ニュース検定も回を重ねるうちに確実に成績がアップしてきた。4級合格者が10数%だったのが、最近は30数%に。夏休みと冬休みにある団体検定でも、「以前はワースト2かビリだったのが、3級合格者が全国平均を大幅に上回った」という。
 小西教授は緩やかではあるが、確実な手ごたえを感じている。


第29回 養われる社会性~山梨学院大の取り組み(下)

 10月のある日、山梨学院大現代ビジネス学部の小西順人教授の研究室に、3年の張京京さんが訪れた。就職活動を始めるに当たってアドバイスを得るためだ。
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張さんは中国黒龍江省出身。高校から山梨で生活し、おば夫婦が営む中華料理店でアルバイトをして、学費などを賄っている。日本での就職には何かしらの資格が有利だとじ、勉強を続けている。どんな勉強をしてよいか分からない状態の時、資格に向かったという事情もある。しかし小西教授は「目指す分野がはっきりしていてそれにマッチする資格ならよいが、関係ないのはあまり意味がないのではないか」と、資格万能主義に否定的だ。
 社会への関心は人一倍強い。高校2年生の時は弁論大会に出場、「友好の架け橋」をテーマにして優秀賞を獲得した実績もある。就職も貿易、旅行関係など中国語と日本語を使いこなし、世間を広くする業種に進みたいと考えている。そのために新聞は大事だと認識している。「日本の新聞は縦書きで読むのが難しい」というが、大事な情報源だ。国際交流センターにある中国語の新聞でも情報を得ている。
 中国では「若い人たちは地域の新聞をよく読んでいる」そうだ。小西教授が「新聞を読むことによって想像力や感性が養われるというメリットもある」と説明する言葉に、張さんも大きくうなずいていた。
 同教授によると、学生たちは入学するとき一度新聞に関心を向け、中断後3年生の就活時期にまた読み出す。蓄積が必要な社会情報は短時間では身につかないわけで、後悔する事態を迎えるケースが多いという。メディアとビジネスの講座ではそのことを強調していたこともあって、今では新聞を身近に置き「新聞記者になりたい」「テレビ局に入りたい」と、マスコミ志望者が増えてきたという。

 長野出身の飯山佳奈さんもその一人。以前は警察官を目指していたが、番組作りの現場を見てテレビ制作に関わりたいという希望を持っている。本を読んだり、絵を描いたり、音楽を奏でたりするのが好きな飯山さんは、時々小西教授を訪ねてはマスコミ志望のモチベーションを維持しているようだ。
 小西教授は「専門科目への導入として新聞を薦めてきたが、あらゆる方向にいい傾向が生まれいる」と、胸を張った。

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