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表紙のスケッチ Archive

2008年1月号の表紙のスケッチ

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 男子は元服・褌祝、女子は裳着・結髪。これが成人を祝う日本古来の儀礼で、文化人類学では、通過儀礼(イニシエーション)の一つとして扱う。今日の成人式は、1946年11月、埼玉県蕨市の「青年祭」がルーツ。敗戦により虚脱の状態にあった当時、時代を担う青年たちに明るい希望を持たせ励ますため、当時の蕨町青年団長高橋庄次郎が主唱者となり青年祭を企画、会場となった蕨第一国民学校(現蕨市立蕨北小学校)の校庭にテントを張り、青年祭のプログラムとして行われた。この「成年式」が全国に広まり現在の成人式となったらしい。

 モラルの低下などが問題となっている成人式だが、虚飾の祭典ではなく、心が引き締まるようなセレモニーであってほしいと願う。

 

2007年12月号の表紙のスケッチ

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 「ピュシス」とは、古代ギリシアで「生成する」という意味「ピュエスタイ」から生まれた自然を表す言葉。舞鶴城公園をイルミネーションで彩る「光のピュシス」(同実行委員会主催)が11月9日から始まった。4回目である今年のテーマは「夢・風林火山」。有名な川中島一騎打ちや由布姫・勘助の顔もある。イルミネーションは来年1月6日まで、しかも今冬限りでこの企画は終了、来季以降事業を引き継ぐ団体を探している。「活性化」...は難しいテーマである。

 

2007年11月号の表紙のスケッチ

表紙Photo.jpg 冬の甲府盆地は、空気が澄んで特に夜景が素晴らしい。月明かりに富士山の雪が反射して、きらめきの上に聳え立つ。周囲の山々も月と建物の光によってくっきりとその姿を主張している。

 甲府は建物の北側が明るく、千代田湖畔の白山や、金子峠、和田峠からの絶景は山を額に見立てた風景画を演出している。都会だとオフィスの電気が深夜まで点き南側が明るいが、甲府は仕事が終わり南の電気は消され、北側の通路灯などで明るいのだという。そして甲府の中心より昭和、中央市の方が明るく夜の賑わいが分かる。昼より夜の明暗こそ真の状況を映し出す。(写真・白山から青柳茂さん撮影)

2007年10月号の表紙のスケッチ

表紙10月.jpg 世界各地のぶどう畑は、垣根や棒仕立てが多いが、日本では多雨多湿な気候に適する棚仕立て。こうすると気が大きく育つらしい。奈良平安時代を期限とし、しかも山梨の勝沼から始まったという誇り高きぶどう栽培。昨今の地球温暖化で、地球の気候緯度は上昇し、現在の山梨の気候は、数十年前の中国四国地方だとも聞く。

 深い歴史の中でまさに地べたに根付いた山梨のぶどう。甲府駅以東の中央線沿線で見られる、延々と続くぶどう畑の風景は、山梨県人の故郷の情景として、いつまでも残ってほしいと願う。

2007年9月号の表紙のスケッチ

武田氏滅亡後、である。家康から秀吉。さらにまた徳川の江戸時代の間、明治に至る迄の約300年を舞鶴城は生きたことになる。最盛期の1600年頃は約20ヘクタールに及んだ巨大な城は、時とともにその主を変え、次第に縮小していった。「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり。」本国甲斐城を築かなかった武田信玄。民政こそが軍事力の基礎であることを疑わなかった甲斐の為政者。その後の統治と支配の歴史を生きた主定まらぬ城。400年の時を経てもなお、その壮観な遺構を現在に伝えている。

2007年8月号の表紙のスケッチ

 我が国初の本格的な野球場は1924年(大正13年)、兵庫県にできた阪神甲子園球場である。プロ野球が始まったのは1936年(昭和11年)。甲府市北部の湯村山につながる遊歩道の入り口に位置する「緑が丘球場」はそれから16年後の昭和27年。山梨県が県を代表するスポーツ施設として設置。当初は庭球場が整備され、その後野球場ができた。

 緑の木々に囲まれた球場は、訪れた誰もが「山の都にふさわしい」と口にするくらい外野芝生席にはたくさんの木があり、天気の良い日にはスコアボードの向こうに富士山が見える。今は夏の高校野球の真っ盛り。勝負は勝ち負けがすべてではない。大切なのは勝ちっぷりと、負けっぷりだ。青春に悔いを残すなかれと願う。

2007年7月号の表紙のスケッチ

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 日本の七夕は古事記や万葉集にも記され、本来宮中行事だったことが江戸時代に一般庶民に広がった。織姫と彦星の物語に関してはさまざまなバリエーションがあるが、男と女の物語であるという点は諸説一致している処であり、近年の台湾では、バレンタインデーと同様に男女がプレゼントを交換するらしい。

 各地方で行われている七夕まつりの殆どは戦後、戦災で疲弊した地域を活性化する目的で始められ、そのモデルになったのは、婦女に対する文化向上の目的で七夕を奨励した伊達政宗の仙台であり、くす玉の飾りつけの発祥も仙台である。

 ともあれ、時代のすう勢により疲弊した甲府市の中心街春日通りも一般庶民の希望や楽しみが行き交う「通り」として、ずっと続いていってほしいと願うばかりである。

 

2007年6月号の表紙のスケッチ

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無人駅や小さな駅舎が多い身延線の中で、南甲府駅はコンクリート二階建ての重厚で趣のある建築である。それはこの駅が身延線の前身である「富士身延鉄道」の本社と駅舎兼用の建物だったからである。当時(昭和3年~)から昭和、平成の80余年の歳月の中で、国有化、貨物の廃止など、駅周辺の変わる街並みも含めて、時代のすう勢をじっと見つめ続けてきた駅舎である。

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