- 2010年3月 3日 19:51
- ジュエリー
KENです。
先日、小松ダイヤモンド工業所に取材に行ってきましたので社歴を紹介します。
先代小松一男、1950年ドイツ人エミール・ゲルバー氏よりダイヤモンド研磨全工程を習得。
1967年 小松ダイヤモンド工業所設立
1971年 有限会社小松ダイヤモンド工業所に改名
この間、世界有数のダイヤモンドの研磨、大手企業の宝石研磨を手がける
1992年 「華真珠」が宝石研磨創作デザインコンテスト奨励賞受賞
1994年 「華真珠」特許取得
1996年 小松一男が、やまなし「現在の名工」として表彰を受ける
グッドデザイン特別賞を受賞
1998年 「ストリームカット」特許取得
2006年 小松一仁が2代目代表取締役に就任。先代の意思および技術を継承し、
新たな研磨技術への可能性を拡げると共に、よりグローバルな展開に取り込む。
最近の受賞暦も聞いたところスゴイ!!! ー日本人初ー 米国宝石カットコンテスト「ザ・ジェミーズ」 カット部門 第1位 新人アーティスト部門 第2位 のダブル受賞 ストリームカット/華真珠
第3回ものづくり日本大賞 最高賞 内閣総理大臣賞受賞!!!

第21回 国際宝飾展 日本ジュエリーベストドレッサー賞 (イ・ビョンホン)贈呈モデル

この人が世界の小松です☆ ホームページご覧下さい。

山梨宝飾業界には世界に通用するプロフェッショナルが沢山います。
僕のミッションは山梨ジュエリー業界の活性化です。世界№1のジュエリー大国を目指す為!
たくさんのクリエーターを紹介するのでお楽しみに♪
ー華真珠の背景ー
1967年、先代である父によって弊社は創立されました。父は元々、甲府市の隣町、韮崎市にあった日本ダイヤでダイヤモンドのカットを習得しました。ダイヤモンドは完全分業制のため、200人いた従業員の中で唯一、ドイツ人エミールゲルバー氏にダイヤモンドカットの全工程を習いました。やがてその会社は閉鎖となり、多くの腕の良い職人はオリエンタルダイヤモンドの研磨工場(現在閉鎖)へ誘われました。父も誘いを受けましたが、ダイヤモンド研磨全工程ができることを理由に、一念発起、独立を決心、そして開業いたしました。しかしながら、当初は仕事もなく、厳しい日々が続いたそうです。そんな時、政府が戦時中に集めたダイヤモンドを競売に掛ける事を知ります。そして、あるダイヤモンド会社に電話すると「本日こちらの担当がそちらに向かっております。」との電話の応対でした。政府が放出したダイヤモンドは「旧カット」と呼ばれるアンティークカットだった為、落札後販売するには現在一般的な「ブリリアントカット」にリカットしなければならなかったのです。リカットの技術の高さが口コミで広がり、ダイヤを落札した多くの会社からリカット(再研磨)の仕事を頂き、現在の会社の礎を築きました。古くから水晶研磨について有名な「甲府」ですが、弊社のすべての技術は「ダイヤモンド研磨」が基本となっていますので、当時石を手に持って研磨する水晶研磨とは一線を画したものでした。ダイヤモンド研磨はカット面が非常にシャープです。それに比べて石を手に持つ「手ずり」は若干カット面がダレます。当時、父もダイヤ研磨技術を工夫して黄水晶を研磨しましたが、「売れている時代にこんな良いカットは必要ない。」と甲府では相手にされませんでした。ましてや、現在世界中で使用されている「ストリームカット」(特許取得)の技術も当時開発されたものですが、やはり見向きもされませんでした。そのころ、京セラ㈱から下請けの加工を請負うようになります。シャープなカット面に加え、仕上がる商品の優秀さから当時社長であった稲盛和夫氏に招待を受けたこともありました。京セラの人造宝石研磨はカットを勉強するには格好の材料でした。私も中学生の時から大学を卒業するまで多くの研磨を手伝ってきましたので、入社するときには、おおかたの研磨が出来るようになっていました。幼少の頃から見てきた父の背中でしたが、それは漠然としか見えず、跡を継ぐ決意はある日のことがきっかけとなります。工場で何気なく話をしているときのこと、多くの同業者が所有している研磨機に「簡単なある工夫」をすることによって、誰もできない製品がつくれることを教えてくれました。当時、私は高校生でまさにその研磨機を使って手伝っていましたので、「簡単すぎる工夫」のその衝撃は大きく、「あぁ、この人はすごい人だな。」と思いました。その時、現在も変わらない3階の工場の設備を引き継ぎたいと思ったことと、父のものづくりに対する情熱をすべて受け継ぎたい、「自分が受け継ぐことができるのなら」と家業を継ぐことを決意しました。現在でも世界中でその技術は見ることがなく、いつか実現したいと思っています。下請仕事の低迷と私の「家業を継ごう」という気持ちが見え隠れした頃から、父は下請けから自立できるようにと独自商品の開発を始めます。その中の一つが「世界初、本真珠にカットを施した真珠」の開発です。父は「日本で唯一産出される宝石」である真珠に注目しました。真珠は少しのキズでもその評価は著しく低くなり、販売するのに問題を抱えていました。そこで、そんな真珠にカットによって付加価値をつけたら、新たな市場が生まれるのではないか、という期待もありました。下請けの仕事をしながらの開発はハードなものでした。平成元年6月2日に父が脳溢血で倒れ、退院後は、研磨機の横にベッドを置き30分仕事をしては寝て休み、麻痺した左腕でまさに命がけの下請け仕事をこなしました。それが幸いしたのか、ほとんど麻痺もなくなり当時はゴルフができるまで回復しました。しかし、平成19年8月に脳梗塞を起こし、現在は寝たきりの生活をしています。そして、私の入社に合わせるかのように「世界初、カットを施した真珠」、「華真珠(はなしんじゅ)」が完成します。「宝石研磨石創作デザインコンテスト奨励賞」や「やまなしグッドデザイン特別賞」などを受賞しましたが、「世界中にないモノを世界に広める」苦労をここから味わいます。どんな世界でも奇抜なものが好きな人はいるので、多少の需要はありました。しかし、保守的な日本市場において、それまでの常識(真珠はツルッと丸いもの)を打ち破るのは簡単ではありませんでした。そんな時、偶然来日していたアメリカ人の業者に華真珠を見せたことによって状況はかわります。「これは、すごい!」ということになり、すぐにアメリカで販売することになります。海外では単純にツルッとしたものより、カットが施してありキラキラする宝石のほうが数段高く評価されるのです。外国人には、真珠に対する先入観がないことも幸いしました。その後、国内でも徐々に認知されるようになり、少しずつ売り上げを伸ばしていきました。また、1997年には世界で最も権威のあるG.I.A(Gemological institute of America)の機関紙にレポートされました。そして、再度転機が訪れます。ある日香港から1通のダイレクトメールが届きます。その中には「Diamond Pearl」と名づけられた「華真珠」のコピーサンプルが入っていました。香港の業者が、弊社が特許を持つことを知らずにコピー品を作り、送ってきたのです。その品質はもちろん粗雑であり、およそ同一商品とはいえませんでしたが、「本真珠にカットを施したもの」に違いありませんでした。その後、その会社には通知し、国内での販売は遠慮していただきました。華真珠が売れていくほどに予想されることでしたが、その出現はあまりにも早かったのです。国内特許を取得しながらも、海外での競争はすでに始まっていたのです。「とにかく、開発業者であることを世界へアピールしよう」その思いだけで右も左もわからないまま、2000年、世界4大展示会の一つに数えられるHong Kong Jewelry & Watch Fairへ出展しました。香港貿易発展局直営ショップにコピー品が飾られているなどショックなこともありましたが、逆に最高のタイミングで出展したとの思いが強く、それは華真珠開発業者としての誇りがあったかもしれません。一度は会場の中国業者のブースが一面コピー品に包まれましたが、粗悪な真珠に粗悪なカットを施したものは売れるはずもなく、その後は消えていきました。現在香港でコピー品を見ることがなくなりました。弊社においては、香港での出展によって、海外のエステートジュエラーやデザイナーと知り合うことができました。特にイタリアのジュエリーブランド「スカヴィア」には多くの商品に華真珠を使用していただき、またそれが縁となりカラーストーンのオーダーまでいただけるようになりました。当時は、日本からの出展といえば真珠を輸出する業者がほとんどで「MADE IN JAPAN」の商品を出品している会社はほとんどありませんでした。昨年まで9年連続で出展を果たし、現在はアメリカ、イタリアをはじめ、ロシアなど多くの国に顧客を持っています。そして、「真珠にカットすること」を単なる奇抜なものに終わらせないためにも、カットを進化させることが必要でした。2009年アメリカ宝石カットコンテスト「Gemmys」に、華真珠がより輝くカット「ダブルリフラクションカット」を出品し、カット部門第1位を獲得しました。「本真珠をカットした」華真珠が一般的な宝石と認知され、その新カットが評価を受けたことは、華真珠が「単なる奇抜な宝石」から「希少な宝石」に脱皮したように思えました。誰も考えつかなかった「真珠をカットした真珠」を世界中に広めることは非常に難しく、苦労もありました。今ここに到達するまでには多くの知的所有権の侵害を受け、時には「もう商品開発をしてもしょうがない」と思うこともありましたが、真面目な「ものづくり」を続けることによって、世界中の方々に高く評価していただくことが出来ました。これを励みにこれからも魅力ある商品を開発し続けなければならないことを実感しています。「御社はつくれるから羨ましい」時に聞かされるこの言葉の意味を忘れずに
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