- 2010年2月 2日 20:28
- ジュエリー
KENです。
前回からの宝飾産業歴史つづきです。
明治後期~大正時代
水晶工芸では機械化が進み、生産量も飛躍的に増加した。
それにともない甲州水晶は全国に知れ渡るようになる。
加えて江戸時代から別の流れで発展してきた飾りの技術が水晶工芸と
結びつき、新たな産業の時代を迎えることになった。
しかし一方では、県内の水晶原石の採掘に陰りがみられるようになっていた。
明治25年には全盛期の10分の1まで採掘量は落ち込み、明治30年にはほぼ
枯渇状態に陥ってしまったのだ。こうした経緯のもと、山梨の水晶加工、宝飾産業は
転換期へと突入することになった。
この頃、原石難から転廃業する業者が多く現れるのと同時に、水晶採掘も水害対策
のために禁止され不可能になった。産業としては非常に苦しい時代であったが、
反対に水晶の加工技術は地道な努力のもと着実に進歩を挙げていた。
原石の極端な減少を反映し水晶の多くが自然のままの形を活かすよう加工jされたため
飾り部分もひとつひとつその石に合わせて作ることを余儀なくされ、結果として宝飾工芸
への移行の基礎が作られた。そして大正7年、これらの努力が報われる出来事が起こる。
ブラジル産の水晶原石が大量に輸入されるようになったのだ。
ブラジル産水晶原石の輸入により、再び対米販路が開け、首飾りを中心に各種装身具
置物が輸出されるようになった。これに応じて宝飾工芸業界も次第に活気を取り戻し
加えて第一次世界大戦による日本経済の好景気を反映し、金製品の需要が殺到するようになる。
こうした状況により、県下の飾り業は文字通り貴金属を材料とする高級装身具の製造
いわゆる貴金属工芸へ移行する礎を手に入れたのだ。そしてまたさらに機械化が進み、
量産の道を歩み始めた。その後、大正7年には甲府勧業博覧会を開催。ほとんどの業者が
参加出品し、甲府の飾り産業の真価を世に問い、大好評を博した。
新販路を開拓し、研磨宝飾品産地としての基礎を築くことになったのだ。
3回に渡り宝飾の歴史をご紹介してきました。いかがでしたでしょうか?
今からは個性の時代だとおもいます。
時代は自分達一人一人が作りあげるものである!
そんな個性を大事に、昔から受け継がれてきた宝飾技術を紹介します。
貴石彫刻オオヨリ
〒400-0031甲府市丸の内3-25-1
TEL055-224-3762
1958年創業
宝石、貴石の彫刻研磨。
デザイン画を元に要望の宝石を製作。
宝石の枠合わせ加工。
薔薇、桜など色々な花を宝石で製作。
自社オリジナルジュエリーの製造販売。
Koo-fuコレクション2008,2009,2010発表
大寄智彦
1979年3月5日生まれ
初代(祖父)芳清、2代(父)芳朗と続く貴石彫刻オオヨリの3代目。
駿台甲府高等学校美術デザイン科卒業。
山梨県立宝石美術専門学校で宝石貴金属加工学科専攻卒業後、
家業の貴石彫刻業に従事する。
2005年には、やまなしグッドデザイン賞を獲得。
その他コンテストに出品し山梨県知事賞
甲府市長賞など受賞歴多数。
山梨県知事認定プレジュエリーマスターの資格を持つ。
山梨県立宝石美術専門学校の講師を勤める。

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