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一号一会 Archive

ドライバー歴 43年

  • Posted by: マチコレ!
  • 2009年6月 3日 15:27
  • 一号一会
私はタクシーの運転手という仕事がら、県外から来るお客様の観光地めぐりや史跡めぐりの案内をすることがあります。甲斐の国と言えば武田信玄公ですが、そ の始祖である武田信光、武田信武などは安芸の国(現在の広島)の守護になっており、私は広島に行ったことはありませんが、広島の客様に「広島には武田氏ゆ かりの武田山という山があるんですよ」と逆に教えていただいたこともあります。他にも全国数多くの武将や地域名でつながりのあることなどから、共通した話 題にもなり「なんか山梨と親戚になったような気分ですね」と大変喜んでお帰りになる県外のお客様もいらっしゃいます。
県内のお客様でもご自宅の周 辺地域の歴史、いわれなどをお話しすると年配の方はもちろん、若い方も大変に興味を持っていただけます。例えば・・・里垣小の名前の由来は、酒折のサ、東 光寺のト、そして信玄公の重臣、板垣信方の領地であった板垣山のガキ、が一緒になって『里垣』となったんですよ、といった具合です。
県外のお客様から「山梨は歴史がいっぱいあってうらやましいですね」と言われたこともありますが、合併などにより甲府の城下町としての町名、歴史ある町村の名前が消えてしまったことは非常に残念に思います。

ドライバー 松本光正さん

配車係歴 1年6ヶ月

  • Posted by: マチコレ!
  • 2009年5月 8日 09:19
  • 一号一会
私は以前、大型車のドライバーをしておりました。相互タクシーに入って配車係を担当するようになって1年6ヶ月に成りますが、最初は甲府市内の地理は全く わかりませんし、依頼の電話が立て続けに鳴ると頭はパニックになって、乗務員のみなさんに何度も力を貸してもらい、ピンチを切り抜けたものです。
今 はお客様ごとの地理がわかってきて配車もスムーズになり、なじみのお客様との会話で「あっ!どうも」などと言われると、コミュニケーションに自信もついて きて、楽しく仕事ができるようになりました。また、パソコンに触れたこともなかったのですが、入力作業なども慣れてきて、新しいことにチャレンジすること は大切だなぁと感じます。タクシー業界は平均年齢が非常に高いのですが、当社にはやさしい先輩が大勢います。若い皆様も一緒に相互タクシーで頑張って働い てみませんか?

配車係 斉藤辰雄さん

ドライバー歴 5年

  • Posted by: マチコレ!
  • 2009年5月 8日 09:09
  • 一号一会
今から5年前、私はハローワークの紹介で相互タクシーの面接を受けることにしました。でもその際、心配事が一つありました。私は左足に障害があるため走る ことや重い荷物を持つ事などができません。いざ面接の時そのことを打ち明けると、社長は「大丈夫!車の運転が出来れば!!」と簡単な返事でした。私はスッ と気が楽になりました。その後二種免許取得の養成生として自動車学校へ通い免許を取りました。タクシー乗務は安全第一ですから、自動車学校でも「安全確 認」について集中的に教習していたことを今でも覚えています。
タクシー乗務の初仕事は、5月5日の「子供の日」に愛宕山科学館への送迎でした。そ の日の天気は五月晴れで、行きの子供達はみんなはしゃいで、どの子も"元気、元気!"といった風でしたが、帰りの車中ではみんな疲れてしまったのか、寝 入ってしまう子がほとんどでした。結局その日は30組くらいのお客様に乗車していただきました。初仕事の前日は、お客様と何を話そうか、つり銭はいくらく て、あっという間に時間が過ぎ、そんな不安は吹き飛びました。そんな一日から私のタクシードライバー人生は始まりました。

 ドライバー 金子治毅さん

配車係歴 4年

  • Posted by: マチコレ!
  • 2009年4月16日 09:44
  • 一号一会
今から50年前、東京の祖父が亡くなり葬儀に出席するため、両親と私、親戚の方と東京へ出発しました。夏の盛りで、台風が山梨を通り過ぎ電車が不通になり、タクシーで行くことになりましたが、舗装道路などほとんどない時代です。

大 和村までは順調でしたが、笹子トンネルがない時代でしたので、峠越えをしなくてはなりませんでした。台風の傷跡で、砂利道は深くえぐられ乗っていて何度も 天井に頭をぶつけるわ、横に大きく揺れるわで大変でした。その上、峠の入口 でタイヤがパンクし、通りがかりの人達にも助けてもらい、何とか頂上まで押し上げることができました。服は泥だらけ、汗で下着までびっしょり、結局八王子 までしか行けずに、あとは電車に乗って行った記憶があります。戦後から7~8年、当時の車でのお話です。木炭車だったかぁ?

今では国産車は世界一を誇る性能ですし、道も良くなって、もうなかなかそんなこと話も聞かないですね。懐かしく、辛かった、私の一生忘れることのできない思い出です。

配車係 市川忠愛さん

ドライバー歴 43年

  • Posted by: マチコレ!
  • 2009年4月16日 09:38
  • 一号一会
私は、今年の2月で満43年間、相互タクシー一筋、運転手として勤務しております。40年前とは世相も違いますが、お客様も大分変わってきました。

当時は まだ各家庭に自家用車を持っている家も少なく、タクシーが庶民の足として、毎日休む暇がないくらい利用していただきました。夜などは飲んで帰るお客様も多 く、中心の春日通りなどは夜10時を過ぎるとお客様があふれて電話注文のお客様を迎えに行くときはお断りするのに大変苦労したこともありました。
また、遠 距離のお客様もいて東京、静岡、長野または千葉までも月に何回か行くこともありました。

田舎へ送っていったときなどは、お客様と話が弾み、家に着くと「おい、お茶を飲んでけし、飲んでいかんと料金を払わんぞ」などと夜遅くにも係わらず、寝ていた奥さんを起こしてお茶をいただいて帰ったこともあります。
他にもわざわざ畑に行って、キャベツやレタスをトランクいっぱいにいただいたこともありました。

最近はやはり老人のお買い物、病院の送迎が多く、核家族になり一人で生活しているお年寄りが多く、家にいても話す機会が少ない為か、顔見知りになるとタ クシーのドアを閉めるのももどかしく、いろいろな話をしだします。目的地についても話が終わらないときは車からすぐ降りないということもあります。お客様 といろいろ話をしながらの仕事も面白いことがあります。 

ドライバー 松本 光正さん

ドライバー歴 50年

  • Posted by: マチコレ!
  • 2009年4月16日 09:26
  • 一号一会
「すみません近くても乗せてくれますか」と何度か聞かれたことがありました。乗務員に乗せてくれるか確認するお客様は、乗車拒否や不愉快な思いをしたこと のあるお客様だと思います。このような気遣いや苦情等があることは、公共交通に携わるものとして深く反省しなければなりません。
 
当社では、現役乗務員はもとより新入社員には教習期間中、近距離や高齢者のお客様を親切に安全に送迎するよう指導し、信頼され、安心して乗れるタクシーをめざしております。

ドライバー 清水 豊重さん

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